29 「それぞれのその後」

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野崎は打ち上げの店の前で、春翔を待った。すると一台の車が店の前に停まり、春翔が姿を現す。春翔が助手席から出てきた車を、運転しているのは女性だった。 ちょうどそこに千鳥も到着し、鉢合わせとなったが、その様子を見て立ち止まった。 野崎はまさかこんな事になるとも思わず、少し引きつった笑顔で春翔に声をかけた。 千鳥も野崎も少し驚いた顔で、春翔を見たので「あ、今日は車で送ってもらった。彼女、今付き合ってる人。マキさん」と春翔は紹介した。女性も「こんばんは。運転席から失礼します」と挨拶した。 「こんばんは。私、先に入ってますね」 千鳥はそっけなく、ドアを開けて入って行った。 何気ない顔をしたけど、本当はさっきまでの期待の気持ちから、ガクッと落ち込んだ千鳥。 「マキさん。ありがとう、帰りはタクシーで帰るから、休んでて」 春翔はマキに言うと 「うん。わかった」 マキは車を走らせた。 車が去った後、野崎は 「何だ、おまえ、付き合ってる彼女居たのかよ。え?一緒に住んでるの?」 「ああ、うん。最近彼女の部屋に 引っ越した」 「あぁ、もっと早く知ってれば」 「どういう事?」 「あ、いや、何でもない。まぁ入れや」 「おう」 (せっかくドリちゃんを喜ばそうと思ったのに) 野崎は、春翔に彼女がいるのを知らずに呼んでしまい、かえって千鳥を悲しませことになるとは……。 自分の不甲斐なさに、せっかく仕事は大成功したのに、打ち上げの気持ちではなくなってきた。 打ち上げの間、春翔は千鳥の気持ちに気がつきもせず「仕事中は話せなかったから、久しぶりだし隣に座っても良い?」と自ら千鳥の隣に座ってきた。 その時、春翔からマキは、パンダの写真でオタクには少し有名な『さくらまき』だと知らされ、千鳥は彼女のファンでもあり、なおのことショックだった。しかも『五十嵐マキ』から『さくらまき』になったことを知っていたのだ。 (これって、桜井のさくらじゃないの?)二人の仲の良さをアピールされてしまっているから、尚更笑顔もひきつった千鳥だった。 打ち上げでは、「千鳥ちゃんはほんとに気が利くからすごい助かったよ」「頑張り屋でいいよね」「また手伝って欲しいよね」と口々に千鳥を褒めてくるスタッフたち。 「いえいえ。こちらこそ温かく接してくださりありがとうございました」と千鳥も答える。 みんなが次々と千鳥のグラスにビールを注ぐ。普段ほとんどアルコールは口にしない千鳥だが、ビールだけは多少飲めた。「おいおいアルハラになるからあんまり勧めるなよ」野崎が牽制するが「大丈夫です。少しなら。この、めはりずしとビール合いますよね」と千鳥は答えると、目の端に春翔が見える。ニコニコ微笑む春翔の笑顔に(やっぱりまぶしくてずるいよ。こんな笑顔見せられても、さくらまきさんが彼女なんだよね。きっと彼女にはもっととびきりの笑顔を見せるんだろうな)そう思った後、千鳥はグラスのビールを飲み干した。 心に引っかかる、小さなトゲのようなものを流せるような気がした千鳥。ビールを飲む毎に心のひっかかりは流れていったのか、酔いが回って麻痺していったのか、千鳥自身もわからなかったが、眠くてしかたなくなってそれでも春翔には、他愛のない話と何でもないようなふりをした。 しかし、それからまもなくその後の記憶が、無くしてしまった千鳥だった。 「ドリー、ドリちゃん大丈夫?」頭の上から声が聞こえた。薄目を開けると誰かの膝枕をしてもらっているのが分かった。結局飲み潰れた千鳥は、春翔を本当はまだ好きだったと気がついていた夜だった。 しかしこれで春翔に対してのあきらめの心がはっきりし、好きな人は作らない方がいいと、より一層思った千鳥だった。
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