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「私さ、バツイチなの。五十嵐って元夫の名字」
「そ、そうなんですか」
「幸司、あ、元夫ね。幸司は、奈良の建築関係の長男で実家は江戸時代の宮大工が初代ってくらい老舗でね。嵐山組っていうの」
「なんか耳にしたことある気がします」
「社長の透かし彫りが超絶技巧でね。写真をとる仕事で初めて行って、その技術と仕事ぶりに魅了されて、何度も写真を撮らせてもらいに
通ううちに、社長の幸司のお義父さんに気に入られて、幸司の嫁にならないかって言われた。実は私も幸司に一目惚れしてた。
幸司も、一緒に居ると心地良い、ずっと一緒に居たいと言ってくれて」
春翔は、こんな個人的な話まで聞くとは思っていなかったので
つい箸も止まって聞き入ってしまった。
「お義父さんも気に入ってくれて、結構早くに結婚も決まってうれしかった。でも、結婚してまもなくお義父さんが亡くなってしまって……」
コップの水を一口飲んだマキは
「長男の幸司が嵐山組を継ぐことになるんだけど、嵐山組の彫りの技術は代々【一子相伝】と言われていて、嫁いだからには男子を産まないといけなかったの。結婚前にそのことは少し不安だったけど幸司も
『今の時代にどうかと思うよ。男子が生まれなくてもいい、女の子が継いだって良いんだから』って言ってくれた」
「一子相伝。今もあるんだ」春翔はつぶやいた。
「時代遅れだと思うよね。でも、私たちにはなかなか子供が授からなくて、不妊治療もしたの。二度妊娠は出来たけど、流れてしまって」
春翔は黙って聞いていた。
「あ、こんな話重い?辞めよう」マキはそう言いながら、春翔の顔を見た。
「マキさん、話してくれてありがとう。話したいと思ってくれたなら、心ゆくまで話しても良いですよ。僕も聞きますから」春翔は答えた。
「ありがとう。ここまで話したから今更だよね。あ、箸は止めなくていいから、冷めちゃうし、食べよ。食べながら聞いてくれたら良いから」
そう促して二人とも箸を持った。湯浅もカウンター向こうから黙って
調理を続けた。
マキはその後も話を続けた。
「3回目の治療を始める頃には、お義母さんも親族も、私には直接言う人は居なくてもなんとなく『あの嫁では、跡取りはのぞめない』って空気が伝わってきたわ。
それでも私は、また治療をしようと幸司に言ったけど『もうやめよう、俺たちの相性は合わないのかも知れない。何度治療に臨んでも赤ん坊は、育たないんだと思う』と彼は言ったの。それでも私は彼が好きだし、別れる選択肢は無かった。跡取りとか別に、彼との子供も欲しかった。
でも幸司は『マキの事は愛してる。でも現実この嵐山組を潰すわけにもいかない。伝統はそう簡単に変えられないんだ。跡取りを産めないからって、時代遅れだけど、ここに居ることが返ってマキを苦しめる事になる。だから……』私も彼の言葉をそれ以上聞きたくなかったから……」
「マキさん、つらかったらそれ以上話さなくていいよ」
湯浅が口を開いた。
「ありがとう湯浅さん、大丈夫」
「そうかい?」
「うん。でね、『愛しているのに別れる』ってどういうこと?って思いながら、その夜私は、五十嵐の家を出たわ。しばらくは実家に居たけど、幸司から連絡は来たけど、もう、帰る気にもならなくて。
離婚届だけ書くため、一度だけ会ったけど、お互いかける言葉も見つからないし、書類を提出して別れたの」
しばらくの沈黙のあと、
「話してくれてありがとう」春翔はマキの横顔を見つめながら言った。
「ううん、逆に聞いていくれてありがとう。なんか少しすっきりした」
「だったら良いけど」
「今だから分かったけど、あの超絶技巧の彫りの技は、一子相伝として
親子と言うより師弟として真剣勝負、その伝統を守りきるための努力と決意が無ければ出来ないこと。それを一子相伝にすることで守られた技や伝統だと思ったの。誰でも学べるとなればそこまでの強い意志はもてないよね」
「なるほどね」湯浅もうなずいた。
「だから今はもう、納得してるんだ」
マキはさみしい笑顔を見せ、そう言った。
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