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離れたくて離れたんじゃない。
そう言えたらよかった。
離れるべくして離れた。
自分の意志とは無縁な要因が絡んでいればよかったのに。
離れたくない。
これは僕の要望であり、本心であり、心の大半を占めいている想いだ。
離れたい。
これは君の欺瞞であり、詐称であり、嘘である。
「町を出ていくよ。」
そう告げた彼の表情は安堵したような、ホッとしたような、肩の荷が下りたような、つまりは厄介事から離れられるという安心感に満ちていた。
「そっか。」
それを聞いた自分の顔は、自分では確認するすべがないからどんな顔をしていたのか分からない。ただ、自分の顔を見た彼が急に表情を曇らせたからあまりいい顔ではなかったのだろう。
先週まで半袖でTシャツ過ごしていた季節が、長袖パーカーになった。
つっかけサンダルで歩いていた素足が、靴下とシューズになった。
予報はいつも曇りもしくは小雨模様。
気分が落ちる天気と相反するように街路樹の色は鮮やかに染まっていくそんな時期だった。
彼はスーツと紳士靴になっていた。
就職なんてまだまだと思っていた高校3年の初秋。
自分は大学進学で、彼は就職だった。どうせ地元に残るだろうと勝手に考えていた。思い込んでいた。そうであれと願っていた。渇望していた。離れることはないと思っていた。
「もっと、早く言えばよかったんだけど、さ。」
彼はたぶんずっとタイミングを狙っていたのだろう。そしてそれを逃し続けていたのだろう。
「そっか、そっか、就職おめでと。」
自分は精一杯の強がりで笑顔を作り出した、と思う。曇らせた彼の顔を元に戻したかったから。
「ずっと一緒だったから、なんか、いなくなるって言われるとびっくりするな。」
「赤ん坊の時から今までずっとだもんな。」
「生まれた日も同じで、幼小中高全部同じで。」
「高校くらいは離れるかなと思ったんだけどな。」
「頭の出来が同じだったからじゃない?」
「数学は俺の方が得意だ。」
「その分、英語が全くできないのはどこのどいつだよ。」
いつものような言葉の端の引っ掛け合いが始まる。こんな『いつも』が来年にはもう無くなっているとか、自分は耐えられるのだろうか。
「引っ越し先のアパートでホームシックになって泣き暮らしてる様が目に浮かぶな。」
「いやいや、毎日パーティー三昧でリア充謳歌してやるさ。」
「ブラック企業で会社に寝泊まりしてたりな。」
「休日の度に、部屋のインテリア弄って買い足して自分だけの城を作るんだよ。」
「自分だけの城、か。」
「もうこの部屋はお前だけになるんだから、好きにしてくれて構わないからね。」
「考えとく。」
「毎朝同じ顔に起こされるのも、と数か月だからな。」
「目覚まし時計買い足しとく。」
「母さん寂しがり屋だから、あまり夜遅くに帰るようなことするなよ。」
「お前が母さんみたいだな。」
「双子だよ。」
「うん、知ってる。」
「お互いのことが良く分かるっていうか、お互いのことだけ分かっていればいい、みたいな依存関係?束縛感?閉塞感?が、さ。」
「うん。」
「小さいときは心地よかったよ。お前さえいればいいやって。でももう俺たちは大人だから。お互いだけじゃない世界に行かなくちゃいけないんだよ。」
「うん。」
『だから、俺たち離れよう。離れるべきなんだ。少なくとも俺は離れたいと思っている。』
最後に言われた言葉が、ずしんと胸に残った。少なくとも離れたいと思っていた、か。
そんなこと、本当に全然考えたこと無かったのに。
アイツは考えて考えて考えに考え抜いたんだな。
引っ越しの日。荷物は全部業者のトラックが運んでくれて、家の前には俺とアイツと父さんと母さんがいた。近所のおじさんが記念撮影をしてくれるということで家をバックにして左から父さん、母さん、アイツ、俺の順で並んでいる。アイツは仕事用にと髪を短く刈り上げていた。俺は美容室に行くのが億劫で伸びきった髪を後ろで適当に括っていた。同じ顔なのに髪型だけでイメージがまるで違う。アイツは未来に生きていて、俺は過去に囚われている。
「兄ちゃん表情が硬いよー。」
おじさんが笑いながら歯を見せてニカっと笑顔の催促をする。
「あら、いつもヘラヘラしているのはお兄ちゃんの方なのにね。」
左ななめ上を見上げて母さんが笑う。
「ヘラヘラって。」
幾分緊張が解けて撮れた写真はやはりヘラヘラしていた。
「元気でな。」
「落ち着いたら、遊びに行くからね。」
両親と別れの挨拶をして軽くハグをする。
「離れたいって言ったこと、気にしてる?」
両親との挨拶を終えて、こっちにやってきた。
「気にして、無い。」
「やっぱり気にしてる。」
「俺の方が兄ちゃんなのに、お前の方が先のこと考えているとかなんか悔しい。」
「コンマ数秒の違いで兄貴面されてもな。」
笑われた。同じ顔で。
「上なもんは上なんだよ。」
「はいはい、お兄ちゃん。俺がいなくなっても泣かないでくだちゃいねー。」
「兄貴どころか、赤ちゃん扱いかよ。」
「今日の朝も、やっぱり起きれなかったじゃんか。」
「後で、ホームセンター行ってくる。」
「目覚まし時計頼りかよ。」
「だって、」
だっての後に言葉が続かなかった。
『だって、お前いないじゃんか。』これを言ったら、これを言ってしまったら、アイツの決意を揺るがすことになる。
「離れたいって言ったけどさ。」
「あ?」
「口から出た言葉が本当じゃないことも世の中にはあると思うよ。むしろ、これからの大人の世界では本当じゃないことの方が多いのかも。」
「何が言いたいんだよ。」
「俺の方が少し大人になるって言うこと。」
「俺の方が兄貴だっての。」
「戸籍上はね。」
離れたい。
これは虚栄だ。
離れたくない。
これは僕の中の僅かにまだ残っている未成熟な部分だ。
今それを置いていくよ、兄貴。
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