第5話 タンタロスの憂鬱

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第5話 タンタロスの憂鬱

「考えたんだけど」おれは言った。「社長とウチのおやじが昔、サトミとケンイチの死に関係あったとか。よくあるだろ、真の狙いはその親への復讐だっての」  玲馬は黙っている。「ちょっとまだるっこしいか」  答えをくれというより、自問自答のつもりだった。だが、彼は長考の末に口を開いた。 「動機なんて、筋の通った理由なんて、実はないのかも」 「?」 「やつらは『タンタロスの苦しみ』の中にいて、苦痛を逃れようと他者をなぶっているだけかもしれない」 「なんじゃい、それ」 「説明したいけど、すんごく長くなるからまた今度」  お祓いを含む対策については、玲馬が今夜さっそく「知人」に相談してくれることになった。  立ち上がった玲馬が祠に一礼し、おれも真似した。二人と一匹は並んで歩きはじめた。空は朱みを帯び、金色の雲が流れている。夕日にトーストの毛が焼きたてパンのように光った。 「美味しそうだ」 「犬と猫の仲良し動画ってあるでしょ。あれ見てから弟が猫を欲しがって。アンかベリーって名前にしたいそう」 「ブレーメンの音楽隊みたいに上に乗せるのか」 「即座に理解してくれてすごくうれしい」  相方だった勇気とは、あれだけ一緒にいて、こんな気楽なやり取りの記憶はない。彼はおれ以上に面倒な家庭に生まれ、奥にすごく頑なな所があった。長く生きればまた違ったのだろうか。  公園を出て大通りに差し掛かると、スマホが震えた。  優里さんだった。薫がいなくなったを繰り返す。食卓に「でかけてくる」と置き手紙があったという。  優里さんというおれの継母は、体も心も丸っこくて気のいい人物だ。それが珍しく悲鳴みたいな声をあげていた。 「置き手紙ってなんだよ」おれの声も裏返った。大正時代が舞台のマンガを愛読している薫だ。それぐらいやるかもしれない。心当たりを見て回ると約束した。 「ちょっと面倒が起こった」手短かに事情を伝え、手伝いは不要と先に断った。  すると玲馬は、山奥にある湖みたいな瞳でおれを見た。 「モールに行くなら一人ではだめだ。ぼく、一度家に戻って準備してくる。すぐだよ。それから二人で行こう」 「いいよ無理しなくて。軽く見て回るだけだし。夜遊びはやめとけ」そう言っておれは玲馬と犬と別れた。  何ヵ所か回ってモア・モールに着くと、空はもう暗かった。流れる雲が早い。  閉店時間前なのに「本日は終了しました」とある。  人けが無い。照明も絞ってあり、指折りの大型施設が廃業したラブホに見える。  嫌な予感しかせず、正直なところめちゃくちゃ心細かった。  見慣れた建物がおばけの顔のようだ。  つい、横に玲馬がいないかを確かめ、アホかと自分を叱った。知り合って間もないただのクラスメイトに何を期待しているのか。  覚悟をきめ、モールの本館へと近づく。  –––– いた。いてほしくないのが。  夜間出入口の表示の下に影が滲み出てくすくす笑う。 「おまえが和希?イメージと違う。もっと暑苦しいのかと」 「妹はどこだ」 「ちゃんといるよ」ケンイチの姿は、あきれるほど今の高校生だった。  だぶっとしたTシャツにだぶっとしたパンツ。あごの細い小づくりの顔。しかし目つきは年取った爬虫類みたいだ。 「なぜ妹にこだわる?」とりあえず、一番知りたいことを聞いた。「あんたらと関係ない」 「関係ないことはないさ」ケンイチは薄い唇を歪ませた。「もしかして、僕らがなにかわかってない?」 「死人だろ。20何年か前にここで事故って死んだ」 「なら、ちょっとは怖がれよ」 「ボケ。もういっぺん死ね」おれは、強がりだけはうまい。 「お前さあ。そんなこと言っていいの?殺すよ?」 「あんたらさ、昼間は何してんだ?」偉そうな態度に、おれは正直に聞いてしまった。昔からの悪いくせだ。 「学校でもバイトでもないし、スタバでパソコンでもない。あ、25年分進化したゲームに夢中か。墓ん中で」  死霊に顔色を変える機能はないらしく、ケンイチの口元のシワだけが深くなった。「そうかい。スマホは使い慣れてきたけどな」  鈍いおれもピンときた。 「そっか。あれはお前らの…」電話はこいつらの罠だったのだ。  何かケンイチが言おうとすると、 「お兄ちゃん!」幼い呼び声がした。 「かおるか?迎えにきたぞ」 「きゃっ、感動の対面」闇に16、7の女の子が浮かんだ。サトミだ。  暗くても愛らしいのはわかった。嫌な感じの黒いマスコットを首に下げている。視線に気づいたのか、「これ、ヘジコ。よろしく」と、一歩前にでた。  みぞおちが急に重く感じた。気配のヤバさがケンイチとはレベル違いだ。 「あーら」しかしサトミは明るくおれを指さした。「これで、決まりね」 「なんのことだ?」 「ケンイチ、教えてないの?」口調はぞっとするほど冷たい。ボスは絶対こっち。「ま、いっか。ゆっくりしてって。試したいの、君の身体を」  どうやら玲馬の推理は当たっていた。  彼女のかたわらに小さな人影があった。暗くてよく見えないが、「かおるかっ」と声をかけると、コクコクうなずいた。  サトミが言った。「君、割と気に入った。男になるのもいいかもね。とりあえず顔は好みよ」 「それはどうも」おれはとっさに飛び出し、薫の手をつかんで駆け出した。が、すぐに感触のおかしさに気がついた。  たしかにおれは小さな手をつかんだ。しかしそれは傷だらけの人形のものだった。やっぱりそうきたか。 「ねえ、早く連れていってよ」振りほどこうとしたが離れない。 「そら、お前らも遊んでもらえ」影から5、6体のボロ人形が飛び出しおれにしがみつく。手にも首にもぶら下がられ息ができない。サトミのけらけら笑いを聞きながら、意識が飛びそうになる。 「こら、握手はひとり一回のみ!」きっぱりした声が響いた。  悲鳴とともに呼吸が戻り、体が一挙に軽くなる。あえぐおれに玲馬が言った。 「遅れてごめん。準備に手間取った」  お菓子を配るみたいに玲馬が何かを袋から取り出すたび、人形たちはのけぞりくたくたと崩れた。 「きみ、珍しいね」玲馬が薫役の人形を追いかけ袋ごと押しあてると、地面に突っ伏して動かなくなった。 「ばがだな、なんできたんだ」声がうまく出ない。  すまし顔の玲馬は「これ、お祓いパック。家にあったお守りとか魔除けを詰め込んできた。喧嘩しないかちょっと心配」  彼の格好もすごかった。作業着風の黒っぽい上下に肘当て膝当て、背中にはリュック。さらに別のバッグを肩から襷掛けしている。  あらためて玲馬の顔を見ると、彼もおれを見返しうなずいた。 「よし、ふたりでお祓いだ」  こいつ、本気でおれを助けるつもりだ。相手は死霊だぞ。  ふいに何かが込み上げ、おれは慌てて顔を腕でこすった。 「お仲間くん、どうやって入ったの?」静かにサトミがやってきた。結界をいかに破ったかを聞いている。  だが急停止した。凄まじい目でにらむ。「おまえなんだ?そこにいるな?」  すばやく後ろに下がるとケンイチを前へ押し出した。 「あいつ、パシリ?」玲馬が聞いた。 「らしい」 「なんだガキじゃん」ケンイチは吐き捨てた。「ママのもとへ帰れ」  玲馬は背筋を伸ばし、「あなたは国本謙一さん。享年十七歳」  沈黙のあと「それがどうした」と返事があった。「いいえ、確認です」  玲馬がおれの耳に顔を寄せた。「真の名を告げたら慌てると思ったのに」 「そんなもんさ」  ケンイチが掌を玲馬に向けた。へジコが紐でぶら下がっている。 「こないだのでっかいハゲもこれで黙らせた。かなり苦しいみたいだよ、心臓麻痺」  前に出ようとしたおれを玲馬は制した。「大丈夫。ぼくも持ってる」  何も起こらない。怒って玲馬に飛びかかるケンイチに体当たりを食らわせたが、ふにゃっと手応えが薄い。  玲馬がお守りパックをかざすとのけぞったので、それを借りていったん追い払い、反撃準備を整えた。 「全くの霊体でもなく完全な実体でもない。なんだろ。鬼と呼ぶべき?」と言いつつ玲馬はリュックを探る。ラップに包まれた瓶が顔を出した。 「長島くん、火炎瓶って経験ある?」 「ねえよ。あっ、これがそうか」  いくら元札付きの非行少年でも火炎瓶までは手を出していない。 「じゃあぼくが」そう玲馬が言うと、知らない声がした。 (ぼうやにあの『髪』を渡しなさい。きっと相性がいい)  少女みたいな声なのに、ずしりと腹に響く凄みがある。 「えっ、だれの声?」 「えっ、聞こえた?」と、玲馬。やけに嬉しそうだ。 「聞こえた。しっかりと」 「すばらしい」  次に玲馬が取り出したのは、小さな飾りのついた古びたロープだった。  しかし、一挙にあたりの空気が変わった。 「もしかして人の髪の毛?」 「さようにございます」玲馬のやつ、けっこうはしゃいでいる。大丈夫か。 「これは、さる徳の高い修道女の遺髪ですが、実は…」 「あとでいい」おれは渋い顔をしてみせた。「神戸の家って、こんなのばっかりあんの」 「ウォーレン夫妻のおうちよりは控えめだと思う」 「まさか、引っ越ししてきたのもそのせい?」 「そ、そんなこと…は、ないよ、きっと」 (得意の側の拳に巻いたら、火の準備のすむまで守ってやって)  またさっきの声がした。今度はおれにだ。とても逆らえない。  ビビりながら受け取って、バンテージの要領で左拳に巻く。  これ、絶対やばいと思ったが、全身に得体の知れない力が伝わって、恐怖が少し和らいた。よし。  左右の拳で相手を突く構えをとった。昔のベアナックル風だ。祖父に習った構えでもある。じいちゃん、おれたちを守ってくれ。 「へへへ。無駄な抵抗は、やめといたら」ケンイチがじりじりと近づいてきた。サトミは少し離れ、冷たくこちらを見ている。  次の瞬間、ケンイチは目の前に現れた。さらに空中へと跳ね上がる。体操選手みたいなやつだ。そのまま、「バア」と言いながら玲馬にダイブする。  だが、おれの拳が間に合った。なんか動きがめっちゃ良い。拳は肋骨と顎にヒットして、おかしな手応えが返ってきた。  やつはいったん地面に転がったが、蜘蛛みたいに四つん這いになって後ろに下がり、咳き込みながら立ち上がった。しかし器用なやつ。  妖しい髪を巻いた拳を、また突き出すように構える。 「しーらね。おれを怒らせたな」怒った犬みたいな顔になったケンイチは、へジコを持った片手でおれの胸を指差した。まずい。胸がぞわぞわする。 「おまたせ!」玲馬が火のついた火炎瓶をケンイチの足元に叩きつけた。  映画みたいな燃え上がり方はせず、美しい緑色の炎がゆったり広がった。 「ひええ、あちいあちい」おどけたケンイチは炎の上でステップを踏んでみせた。だが、すぐに顔つきが一変した。「てめえっ」  彼は、燃えてもいないのに棒立ちとなり、みるみる生気を失った。地面に倒れると丸まって動かなくなった。 「やったか?」 「たぶん」厳しい顔の玲馬に小声で聞いた。「火炎瓶の中身、なんなの?」 「家になぜか、聖なる秘法?の油ってのが飾ってあって、ずっと目をつけてた。それをブレンド」 「おれの家なんかヘルシーなオイルしかないよ」 「だめねえ、弱虫」サトミの声がした。「あいつらを代わりにしようか」  一方、玲馬はあたりを見回し耳をすませている。 「これからどうする」とささやく。 「もうまもなくだと思うんだけど…」  彼がそう言ったとたん、「意外にやるね」という声がすぐ近くでした。  目の前にサトミの可愛い顔があった。思わず悲鳴が漏れる。  サトミはおれをぶっ飛ばし、玲馬の首をつかむと片手で持ち上げた。 「細っこい首、へし折ってやるよ」  しかし玲馬も負けてはいない。カーゴポケットからつかみ出したものをサトミの顔に叩きつけた。  当たる直前、サトミは一挙に10㍍は飛び下がった。すごい跳躍力だ。首を振り、おれたちをにらむ。「なによ、それ」  玲馬を助け起こすと、黒っぽい塊を握りしめていた。 「蛇姫さまの祠から拝借した。もし御神体だったら謝っといて」  霊力があるはずだと、祠の奥にあった銅鏡を持ってきたという。 「おまえなあ、いつの間に」 「もう、お前たちの身体はいいや。苦しめて、殺してやる」  サトミの宣言に、玲馬は姿勢を正し深呼吸すると、すっかり死霊っぽくなった彼女に言葉を投げかけた。「あなたは早野聡美さん、享年17歳」 「それがどうかしたの」うっすら笑いが返ってきた。 「赤井翔子さんは、従姉妹でしたよね」  サトミの目が細まった。かすかな動揺。 「…そうだったかな」  どこかで犬が吠えた。 「じゃあまた!」玲馬が駆け出し、おれもあとを追った。
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