色なき世界の底から

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すべてがゆるく透明だ。 目に映るもの。視覚に入るあらゆるものが。ここでは色を持っていない。 色のない淡い光が、ここのすべてを透過する。 揺らぐ光の中、彼女はひとりただよっている。 膝をかかえて、眠っているのか。いないのか。 比重を持たない、あたたかな液に抱かれて。 ただよう。ただよう。ただよっている。 彼女はかすかに顔を上げ、光のふりこむ世界の天井に目を向けた。感情の読めない、なかば眠ったような淡い瞳が、かすかに揺らぐ光の光源を追いかける。 けれどそこに水面は見えない。光の最初の源にまで、たどって見ることもかなわない。光はあまりに遠い距離から降ってくる。終わりの見えないはるかな高みから、温度を持たぬ淡い光が無音で降りてくるだけだ。そしてこれは、いつものことだ。彼女が自分の存在を自覚して以来、そこにはひとつの変化すらない。 彼女が体の位置をわずかに変える。無数の気泡がわきたつ。さざめく。彼女の長い髪のまわりで。かぼそい腕や脚のまわりで。泡は彼女の体の線に沿って、それから世界の高みに向かってゆっくりと音もなくのぼっていく。光に向かって。高みに向かって。 彼女のほかにここにあるのは。あるいは存在しうるのは。終わりなく満たされた透明な液と、光と、ときおり沸き立つ泡だけだ。それ以外には何もない。他にはなにも存在しえない。限りなく無に近いこの場所は。彼女ひとりのためにあるようなものだ。実際そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。視界の先の世界の果てをここから見ることができない彼女にとっては、それは実際、知りようのないことだ。確かめようのないことだ。 いつから、ここにいるのか。 いつまで、ここにいるのか。 彼女には知りようもない。考えてみたこともなかった。なにしろここでは、時間の概念すらも不確かだ。未来に向かって流れているのか。現在という今このときが永遠に続いていくのか。あるいは過去へと? 時間そのものが存在するのかしないのか。それすらここでは確かに言うことができない。 ただ、彼女は待っていた。待つことだけが、彼女にできる唯一のこと。 意識が芽生えて光を意識したその時から、今この時まで。彼女はひたすら待ち続けている。何かが自分に呼びかけるのを。何かが自分を導いていくのを。
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