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実習初日、私は海先生に声をかけなかった。
理由は複数あって、一つにはそれができないということもあるのだけれど、一番の理由は海先生に私が忘れられていることを思い知るのが怖かったからだ。
だから、海先生が教室で自己紹介をした時、今すぐ騒ぎ出したい気持ちではあったのだけれど、困らせたくなくて、私は他の生徒に紛れ、大人しくしていた。
「初めまして! 今日から教育実習として、皆さんと勉強をする三村海です。国語を担当します。頼りないのですが、沢山お話をしてもらえたら嬉しいです!」
彼の挨拶は当たり障りないものだった。
けれど、このマイナス要素のないファーストコンタクトが彼のまとっている穏やかな雰囲気とマッチして、生徒には好印象だった。自己紹介を済ませ、その日の連絡事項を伝えて、海先生が教室を後にすると、すぐさま話題は彼一色になった。
海先生の話をするのは女子生徒だ。男子生徒は機嫌の悪そうな顔をしている。
私は彼が評価されたら嬉しいし、そうでなかったら間違いなしに腹が立つ。けれど、見た目だけで気に入って、格好いいとか、優しそうとか、歳の離れた異性として見ている女子生徒に納得できず、彼と浅い関係ではない私は気分が悪かった。
つい舌打ちをして、近くの机の脚を蹴ってしまう。それを男性生徒に気づかれて、小さな騒ぎになった。こうなれば、私は味方が一人もいない悪者だ。
一番に反応したのは、木之下峻だった。
木之下は中学二年生の中で血の気があり、教員から問題児扱いされていた。私は木之下の父親も知っているが、親が親なら子も子、とはよく言ったものだ。木之下の父親はこの辺りの建築工事のほとんどを扱っている建設会社の社長で、他の企業に仕事を持っていかれそうになれば、かなり強引な手段で独占することで有名だった。悪評があれど腕は確かだし、経営が潤っている分、企業の規模も他社より大きいので、結果、木之下建設会社はこの地方でそれなりの権力を維持している。
「おいおい! またカワデマツリの仕業か! 懲りねぇな!」
私の名前は河出松里という。木之下は周りにいる生徒の話を聞かず、職員室へ走っていった。木之下とつるんでいる男性生徒も後をついていく。
海先生の教育実習に浮かれていたこともあるが、せっかく待ちに待った実習初日なのにスタートは最悪になった。この報告は海先生に間違いなく伝わる。私のことを覚えているか否かにかかわらず、よく思われるはずがない。
私は職員室へ向かった木之下たちを追い駆けることができなかった。
否定したって何も変わらない。
その日から一時治まっていた私へのいじめが再び始まった。
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