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いじめは学校で犯されるものだけれど、私の場合、守ってもらう人がいないので、加害者が自宅までやってきて、暴言を吐かれたり、ゴミを投げられたりする。いじめられている最中にできることと言えば、怒鳴り返したり、ゴミを投げ返したりすることくらいだ。でも、それで喜ぶのが弱い者いじめという人種なので、相手が懲りることはない。
おそらくただの暇つぶしなのだ。放課後に喫茶店へ寄るのと同じ感覚で私の自宅へ足を伸ばしているだけなのだ。学校の先生や警察を呼ぼうにも、きっと話は聞いてもらえないし、木之下のいじめが公になったところで父親に揉み消されてしまうに決まっている。
だから、予想される未来で悪者にされるのはまず私だ。
私はいじめを我慢して、いずれ飽きられるものと信じて、学校で海先生の実習授業を受けることだけを喜びに、毎日を過ごすようになった。
「では、昨日の続きです。平家物語ですね」
生徒が教科書とノートを開いて、静かに授業を受ける。私は全く勉強好きではなかったが、知り合いに教わるのは悪くなく、意外にも授業を楽しめている自分を初めて知った。海先生の教え方は拙かったし、たまに誤ってもいたが、女子生徒は彼を気に入っていたし、男子生徒はその女子生徒の反感を買いたくなくて、結果、誰も文句は言わなかった。
単に日々の不満をぶつける対象が他にいて、私を標的にしていたから、海先生を非難する必要がなかったということもあるかもしれない。けれど、それならそれで私はよかった。どんな理由であれ、彼の授業に妨害がある方がずっと嫌だったからだ。
久しぶりに会った海先生は私の知る三村海をそのまま成長させた人物で、当時と優しさの変わらない青年だった。それが彼らしくて、より好きになった。
彼に教わることは特別だった。けれど、授業を終えた海先生がいつものように職員室に戻ろうとすると、ある女性生徒が、先生、と声を出して、呼びとめた。
「はい。何でしょう?」
海先生は普段の調子で振り向いた。
女子生徒は抱きしめられるつもりなのかと思われるくらい、彼の目の前まで歩み寄り、上目遣いで見上げた。つけまつ毛が印象的だった。
「先生って。ほんとにあと一週間なの?」
「そうだよ」
「えーでもさ。先生、格好いいし。もうこのままずっといればいいじゃん! 他の皆もそう言ってるよ? あたしもそれがいいなあ?」
媚びる声だった。私の嫌いな話し方だ。
海先生は苦笑いをした。
「そう思ってもらえるのは嬉しいけど。僕はまだ先生じゃないしね」
「でも、いいじゃん!」
「宮田先生みたいにもできないし。ごめんね」
女子生徒はふらっと後ずさりをして、海先生の前から離れた。
「まあ、そうだよね」
「そうなんだよ」
海先生は少しだけホッとしているようだった。
しかし、女子生徒は諦めなかった。
「じゃあ、せめてアカウント教えてよ? SNSやってるでしょ?」
彼は考えておくとだけ言い残して、職員室に戻っていった。
私は焦った。海先生が他の女子生徒と親しくなることが許せなかったからだ。だから、体育の授業で私が一人、教室の窓からグラウンドを走っている生徒を眺めている時、職員室にいるはずの海先生がふらっと隣に現れても、無視をして、何も言わなかった。
上目遣いも媚びる声もできない私は頑張ったところで怖がらせるだけだ。
海先生の授業を受けられればいいのだと思い込むことにした。どうせ教育実習が終われば大学生活に戻ってしまうのだ。期限のある楽しさなら欲張っても仕方がない。
その日の放課後も、私はいじめられた。
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