【短編】私はただのカフェ経営者であって、霊の便利屋ではありません!

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 それは、静かな夜の出来事だった。  カフェの営業を終え二階にある自室でいつものようにコーヒーを片手に読書をしていたクララは、ふと視線を感じ顔を上げる。  そこに居たのは、天井から半分だけ体を覗かせていた若い男性と思われる霊。『若い男性と思われる』という曖昧な表現なのは、クララにはその霊が今にも消えてしまいそうなほど淡くぼんやりとしか見えていないからだ。  クララは一瞬動きを止めたが、コーヒーを一口飲むとすぐにまた本へ視線を戻した。    今、彼女が読んでいるのはお気に入りの作家『エズラ』の本で、彼の本はこれまで何冊か出版されている。 クララとしては一気に全巻を読破したいところだが、しがないカフェを経営しているだけの庶民なので地道に少しずつ買い揃えていた。  最近手に入れたこの本は去年出版されたもので、「エズラと言えば『貴族物語シリーズ』」と言われる彼の代表作のうちの一冊だ。  貴族たちを主人公にした物語は、派閥抗争や権力争い・陰謀などの泥々とした人間関係の他に、庶民では窺い知ることのできない習俗や生活も事細かに描かれており非常に人気がある。    クララが夕食も食べず読みふけっている物語は佳境に入っており、読書以外の他事に費やす時間が惜しかった。  再び読書に没入しクララが霊の存在を忘れかけたころ、上から声が降ってきた。 「おい、おまえ、俺の姿が見えているだろう? どうして、何も反応しない?」 「…………」 「お~い、さっき目が合ったのはわかっているぞ。俺を無視するな!」 「……私に、何か御用ですか?」  本に視線を向けたままのクララに、男の霊は額に手を当てわかりやすくため息を吐いた。 「『人と話すときは、顔を向け目を合わせて話をしましょう!』って、先生に教わらなかったか?」 「だってあなた、『人』じゃなくて『霊』だもの。それに、初対面の女性に対して『おまえ』呼ばわりする霊に、そんなことを言われたくないわ」  本に栞を挟み机の上に置いたクララは、彼へようやく顔を向けた。  先ほどは半分しか見えなかった体が今は全身が確認できるまでになっていて、顔立ちや髪・瞳の色はわからないが、肩先までの髪を一つに縛っており、かなり背が高いことがわかる。 「たしかに言われてみれば、君の言う通りだ。先ほどの失礼な発言は謝るから、どうか機嫌を直してほしい」  空中で頭を下げ「申し訳なかった」と謝罪した彼に、意外に素直な霊なのね……と感心したクララは、自分も大人げなかったと少し反省をする。 「それで、私にどんなご用件ですか?」  彼はきちんと謝罪してくれたのだから、自分も真面目に彼の話を聞こうと姿勢を正したクララへ、彼は前のめり気味に話を始めた。 「実は、君に折り入って頼みたいことがある!」 「それは、生前にやり残したことですか? だったら、私ではなく霊媒師へお願いすればいいと思いますよ」  町には、霊媒師を生業(なりわい)にしている者たちがいる。  「私はただのカフェ経営者だから、本職へ依頼をすればいいのでは?」と告げたクララに彼は大きく(かぶり)を振ると、ゆっくりと彼女の目の前まで進み出てきた。 「知り合いの霊媒師のところには真っ先に会いに行ったが、彼も弟子たちも誰一人俺の存在を認識できなかった。まさか、彼らが偽物の霊媒師だったとはな……」  両手を上げ大袈裟に嘆き悲しむ彼を見て、迷った末にクララは口を開く。 「えっと、その人たちを庇うつもりはないけど、おそらくあなたの霊体が弱すぎて見えなかっただけかと……だって、私もかろうじて見えるだけですよ」 「でも君は、俺の声が聞こえているだろう? 耳元で何度も話しかけても、何の反応もなかったぞ。あっ、弟子のひとりだけ俺が話すたびに辺りを見回していたから、彼だけには聞こえていたのかもしれないが」 「あ~、そうなのね……」  言葉が続かないクララに、彼は「気を遣わせて、すまなかった」と一言だけ言った。 「まあ、彼らのことは今さらどうでもいい。それで、君に頼みたいこととは、『俺の執筆した物語を読んで、その感想を聞かせてほしい』のだ。引き受けてくれたら、俺の未発表の作品を君へ進呈する。独り占めして読むなり、版元へ売るなり好きにしてくれ」 「…………」 「もしかして、早口すぎて聞き取りにくかったか? もう一度言うぞ。君に頼……」 「ストップ! しっかり聞こえていたから、もう結構です!!」  クララは立ち上がり目の前にいる霊の口を押えに行ったが、もちろん手は虚しく空を切り空振りに終わる。 「うん? 急に慌てて、どうしたんだ?」 「取り乱して、ごめんなさい。私の予想を大幅に超えたものだったから、頭の理解が追いつかなかったの……」  幼いころから霊が見えていたクララだが、霊と会話を交わすのは今回が初めてだ。しかし、彼女は霊を恐れることはなく、霊媒師にもなじみがあった。  というのも、母方の祖母が霊媒師で家族の中で唯一その能力を隔世遺伝で受け継いだ彼女は、よく話を聞かされていたのだ。  祖母のもとには多くの依頼が舞い込んできたが、人以外に『霊からの依頼』も引き受けていたのだという。  彼らの依頼のほとんどが『生前やり残したことを、代わりにやってほしい』というもので、残された家族や恋人宛の伝言を頼まれることが多かったようだ。  そんな話を聞いていたクララだから、てっきり彼も残された人への伝言だと思っていたのに、予想の遥か斜め上をいく依頼に仰天したのだった。 「あなたって、もしかして……生前は『作家』だったの?」 「すまない。俺としたことが、読者に出会えたことが嬉しくて最初に自己紹介するのを忘れていたらしい」    彼はそう言うと突然その場に跪き、クララへ顔を向ける。 「俺の名は、エズラという。以後、お見知り置きを……」 「えっ!? 嘘……よね?」  目を丸くしたまま、クララは彼から机の上へ視線を戻す。  置かれたままになっている本の表紙に書かれた著者名、その人だった。 「いやいや、そんなことがあるわけないわ。あなたがあのエズラだなんて、そんなこと信じられない!」  首をブンブンと横に振り認めようとしないクララに、エズラは立ち上がると人差し指をピンと立てる。 「じゃあ、俺が作者本人だと証明するために、君が今読んでいる本の内容を詳しく話そうか?」 「この本は去年出版されたものだから、あなたが内容を知っていても不思議ではないわ。そんなことでは証明にならない」 「……なるほど。では、こうしよう。ちょうど明日出版される本の、主人公を始めとした登場人物の名を今から挙げていくから、それを書き留め本で確認をしてほしい」 「う~ん、あなたが版元の従業員という線も考えられるけど……まあいいわ」  たとえ彼の言葉が嘘でも本が読めるからいいか……と軽い気持ちでエズラからの提案にのったクララは、一言一句漏らさず書き留め、明日必ず確認することを約束し彼と別れる。  そして次の日、なけなしのお金で新作本を購入し読了したクララは、主役や準主役・脇役を含めたすべての登場人物たちの名が一致したことに驚愕するのだった。  ◇ 「はあ……なんか、ショックが大きいわ」  クララはこの日何回目かわからないため息を吐きながら、夕暮れの町をエズラの後について歩く。  彼女の前をふわふわと浮遊しているエズラは、くるりと後ろを向くと、背中を向けながら進むという器用なことを始めた。 「クララは俺が霊になっていることが、そんなにショックだったのか?」 「当たり前でしょう! だって、その……あなたは亡くなっているってことだから、もうエズラの新作が読めないじゃない」 「……君がショックを受けているところ非常に言いにくいのだが、俺は()()死んではいないらしい」 「『らしい』って、どういうこと?」 「俺も自分は死んだと思っていたが、今日家の様子を見に行ったら、()()()寝室のベッドに寝かされている青白い顔をした俺がいた。周りには治癒士たちがいて、家族が俺を助けようと必死になっていたよ」 「家族なんだから、当然よ。それなのに、あなたは何と言うか……」  どうやら、エズラは死霊ではなく生き霊のようだ。  自分のことなのに、どこか他人事のように淡々と話すエズラをクララは複雑な表情で見つめていたが、ふとあることに気付く。 「そうよ、家が大変なことになっているときに伺ったら、邪魔だし迷惑だし怪しいしダメじゃない! それに、助かる可能性だって残されているのだから、あなたはまず『生きたい』と強く願わないと、助かる命も助からない……って、私の祖母も言っていたわ」  生死の境をさまよっている状態のときは、本人の強い意志があるか・無いかで命運が決まるのだという。  今のエズラのように、自分の死を前提とした行動は止めよう!と諭すクララに、エズラは力なく笑う。 「エズラ本の読者にこんなことを言うのはつらいが、たとえ俺が助かったとしても、おそらく本は二度と出版できない」 「なぜ?」 「これまでとは違い、周囲の環境も状況も一変するからな。本職に時間を取られて、趣味に充てられる時間は皆無になるだろう。好きな執筆活動もできず、ただ生ける屍となるくらいなら、このまま死んだほうがましだ」 「…………」  きっぱりと言い切ったエズラに、クララはかける言葉が見つからなかった。  ◇  クララはエズラの自宅へ行くと思っていたのだが、執筆していた場所は別にあるとのこと。  乗り合い馬車に乗り、閑静な住宅地にひっそりと佇む平屋の一軒家にたどり着いたクララは、エズラの指示のもと庭石の下に隠してあった鍵でドアを開けた。 「ここには昼間にしか来たことがないから、夜は初めてだが……こんなに暗いのか」  きょろきょろと辺りを見回しながら奥へと進んでいくエズラの後を、ランプで足元を慎重に確認しつつクララはついていく。 「この部屋だ」  あるドアの前で立ち止まったエズラに「入るわよ」と一声かけ、クララは一歩足を踏み入れる。  部屋の中は壁一面が本棚になっており、中央にある大きな机の上には紙やペン、インク壺などが整然と置かれていた。 「ここで、傑作が生み出されていたのね……」  感嘆のため息と共に興味深げに机の上を眺めていたクララは、ふと本棚に目を留める。そこには、これまでエズラが執筆した本がきちんと出版順に並べられていた。 「わあ! もしかして、全部揃っているの? 私はこれと、これは読んだわ。こっちは、まだね……えっ、こんな本も出てたの? 今度、本屋で探さないと……」  エズラの存在もここへ来た本来の目的も忘れ、夢中で背文字を確認しているクララの後ろで「フフッ」と含み笑いが聞こえてきた。 「あっ、ごめんなさい! つい……」 「いや、構わないよ。そこにあるのは全て初版本だから、良かったら持って帰ってくれ。ここで誰にも読まれず朽ち果てるより、君の家に置いて読んでもらえたら本たちも喜ぶだろう」 「そんな貴重なものは頂けないわ。それに、その……万が一のときは、ご家族が引き取るでしょう?」 「家族は俺が執筆活動をしていることは知らないし、興味もないだろうな。まあ、それは昔から変わらないが……」  もはや諦めの境地に達しているのか、エズラは苦い笑みを浮かべている。  話を聞いているだけでも胸が痛む希薄な家族関係に、クララは心の中で深いため息を吐いた。 「俺は子供のころから体が弱くて、ずっと家族と離れて生活をしていた。この家は、そのころ世話になった女性が晩年を過ごしていた家だ。彼女は身寄りがなかったから俺が管理をしていたが…………ここも整理しないとな」  最後にぽつりと呟いたエズラはクララへ視線を向けると、先ほどとは打って変わりにこりと微笑む。  その雰囲気だけで何かを察知したクララは、片手を上げた。 「ハイハイ。わたくしめが、あなた様に代わりまして諸々の手続きをすればよろしいのですね……エズラ大先生?」 「君は察しが良くて、助かるよ。こんな優秀な秘書官がいたら、俺の執筆活動も捗ったのだろうな……」  満足げに頷いているエズラに、「あなたは、人を使うことにかなり慣れていらっしゃるのね」と上品に嫌味を言おうとしたクララだが、物音に気付き開きかけた口を閉じる。 「ねえ、いま何か聞こえな……」 「シッ! 俺が様子を見てくるから、クララはここにいて」  そう言うと、エズラは壁をすり抜け出ていったが、すぐにまたドアから顔だけ出した。 「どうやら、泥棒らしい」 「えっ!?」 「安心して、俺が撃退してやる。この家の物を盗もうなんて、許しがたい所業だからな……」  言いたいことだけを告げると再びエズラは姿を消し、クララに発言の隙を与えなかった。 「姿が見えない霊なのに、エズラはどうするつもりなのかしら?」  一人残された部屋に、クララの疑問の声だけが響いていた。  ◇ 「なあ兄貴……こんな古家に、金目の物なんてなんもねえと思うが」 「ここは昔、()る大貴族に仕えていたばあさんが住んでいた家だぞ。慎ましい生活をしていたから、高額な給金は使い切っていないだろう。まだ、どこかに眠っているはずだ」  二人組の泥棒ヤックとコーダは家のドアをこじ開けようと懸命になっているが、なかなか開けることができない。それというもの、エズラによって防犯対策が万全に施されているからだ。  ドアからの侵入を諦めた彼らは家の裏手へと回ると、庭に落ちている石を掴み、今度は窓を割って部屋に入ろうと試みる。  ここで大きな音を立てれば静かな住宅街に響き渡ってしまうのだが、あいにく彼らにそこまでの知恵はまわらなかった。  弟分のコーダに窓の破壊を任せ兄貴分のヤックが周囲に気を配っていると、「ひぇ~!」と情けない悲鳴が上がる。振り返ると、コーダが腰を抜かし尻もちをついていた。 「おまえ、大きな声を出すんじゃねえ! 近所に気付かれるだろうが!!」 「で、出た……」 「何が出たんだ? 犬か? 猫か? (ニワトリ)か?」  弟分よりも自身の声のほうが大きいことにも気付かず早口でまくし立てたヤックは、コーダが指さす窓へ視線を向ける。  窓の奥の暗がりに、淡くぼんやりとした人らしき姿が見えた。 「あ、兄貴……霊だ。ばあさんの霊が出たんだよ!」 「ハハハ! この世に『霊』なんて居るわけがねえ。何かと、見間違えているんだろう」  高笑いをしながら窓へと近づいていくヤックの耳に、「止まれ、ヤック」の声が届く。  声はくぐもっており男とも女ともわからないが、相手が自分の名を知っていることに一瞬にして肝が冷えた。 「これ以上儂に近づけば、おぬしとコーダの命はないぞ。今ここで命を落とすか、数か月後に絞首刑で死ぬか、好きなほうを選……」 「どっちも、嫌だー!!」  コーダを引きずりながら一目散に逃げ出したヤックの姿が見えなくなったところで、クララは頭から被っていたシーツを脱ぐと「やれやれ」と呟いた。 「クララが機転をきかせてくれなければ、今ごろは侵入されていたな……危ないところだった」 「『俺が撃退してやる』なんて、威勢のいい発言をしていたのは誰ですか~?」 「本当にすまない。俺が子供のころに読んだ物語では、霊は姿は見えずとも物は飛ばせたのだ。だから、俺にもできるつもりだった」 「ふふふ、まあ何事もなくて良かったわね」  ()も申し訳なかったと言わんばかりの表情をしているエズラの顔を眺めていたクララは、彼の姿がくっきりとしていることに気付く。  以前は淡くぼんやりとしていた体の輪郭が、曖昧だった髪色や瞳の色が、彼の表情が、はっきりとわかるようになっていたのだ。 「こうして見ると、エズラって結構男前なのね。さぞかし女性に人気があったでしょう?」 「いや、俺より兄たちのほうがずっと人気がある。それに、俺は彼らと違い人前に出ることが苦手で、たまにここへ来る以外はずっと家に引きこもっていたからな……って、クララは俺の姿がよく見えているのか? 一昨日は、かろうじて見えると言っていたはずだが」 「霊体が強くなったのか、あなたの髪が金色で瞳は緑ってことまでわかるわよ。やっぱり祖母の言う通り、生きる目標を見つけたからだわ」 「たしかに、大事なこの家を放置したままでは死ねないと思ったが……」  顎に手をあて考え込んでいる姿も様になっているエズラに、クララはさらに言葉を重ねる。 「とにかく、今あなたにいなくなられたら私が困るの。この家の手続きとか、著作品の扱いとか、あなたの意見を聞きながらでないと片付かないものばかりだから、せいぜい長生きしてちょうだいね!」 「ハハハ、君は敵わないな。鋭意、努力するとしよう」 「絶対、約束よ」  ひとまず、エズラが生きる理由を見つけたことにクララはホッと安堵の息を吐く。これで、彼が少しでも自分の人生に前向きになってくれたらと願わずにはいられなかった。 「さすが、客相手に恋愛相談にのっているだけのことはあるな。クララの言葉は妙に説得力がある。それに、祖母から受け継いだというその能力は本物だ。さっきの泥棒も、それで恐れをなしたのだからな」 「な、なんで、あなたが恋愛相談の件を知っているの?」 「なんでって、今日の昼間ずっと君のカフェに居たからさ。悩める客ひとりひとりと真摯に向き合っている姿に、惚れ惚れしていたんだ」 「あなたが居ることに全然気付かなかったのが、なんか悔しいわ……」  自分に向けられたクララの恨みがましい視線にエズラは堪えきれず吹き出すと、腹を抱えていつまでも笑っていた。  ◇  クララのカフェは、王都の中心部からは少し外れた場所にある。  実家のパン屋から徒歩五分程度の場所に店を構えたのは、今から二年前の十七歳のとき。パン屋の倉庫代わりだった現在は使用されていない家の一階を、猫の額ほどのこぢんまりとした広さのカフェに改装し、飲み物と実家で作られたパンを提供しているのだ。  客にはのんびり過ごしてほしいと居心地の良い空間を追及した結果、近所の常連客(主に年配層)に愛される場所となった店に変化が訪れたのは、半年前のこと。幼なじみで友人のエイミーの恋愛相談に、クララが助言をしたことだった。  職場の同僚にずっと片思いをしている彼女を見兼ねて、つい言ってしまったのだ。 「エイミー、彼もあなたのことが好きみたいだから、思い切って告白してみたら?」  祖母の能力を受け継いだクララには、その人の守護霊が見える。もちろん、このことは家族以外には秘密にしており、長年付き合いのあるエイミーでも彼女が霊視できることは知らない。  彼女の守護霊から感じ取った情報をもとに、自分の気持ちを告げようと提案したクララに半信半疑のエイミーだったが、迷った末に行動を起こす。そして結果は……晴れて二人は付き合うこととなった。  その後、この話は尾ひれがついた状態で噂話としてあっという間に広まり、『クララのカフェで恋愛相談をすれば、的確な助言がもらえる』『恋愛が成就する』と、カフェに若い女性客もやって来るようになったのだ。  店内でのクララは、客に商品を提供したあとは客席が見渡せるカウンター席の内側に座り、好きな読書をするのが決まりだった。そこが、一変して恋愛相談カウンターと化する。 「う~ん。お話を聞いている限りでは、彼はあまり誠実な人ではないようです……」 「やっぱり、そうなんですね。実は、私も薄々とはわかっていたんですが、なかなか踏ん切りがつかなくて……でも、ようやく目が覚めました。彼とはきっぱり別れることにします」  ハンカチで目頭をおさえた女性は吹っ切れた顔で立ち上がると、「次は、いい男を見つけます!」と宣言し、礼を述べて帰っていった。  そんな彼女を見送ったクララの耳に、パチパチと拍手をする音が聞こえてくる。先ほどの女性が座っていた席の隣にエズラが座っており、ずっと一緒に話を聞いていたのだ。  以前は霊体が弱く、日が出ている時間帯はクララでも彼の姿は目視できなかったが、今は昼間でもはっきりと確認することができる。 「世の中には、不誠実な男がいるのだな。彼女が別れる決心をしてくれて、本当に良かったよ」 「あのね、いくら自分の姿が見えないからといっても、真横で一緒に話を聞くのは如何なものかしら? 彼女の守護霊も、エズラが気になっていたようだったし……」 「俺は全然気にならなかったが、クララの仕事の邪魔になるようなら少し離れるとしよう」  今は客のいない店内をぐるりと見回したエズラが「ここにしよう」と腰を下ろしたのは、カウンターの一番端の席だった。  ずっとここにいるつもりなのかと呆れるクララに、エズラは「新たな着想を得るためだ」と微笑む。 「もしかして……新作を執筆する気になった?」 「そうだな。彼女たちの恋愛の悩みを聞いていて、俺なりの『恋愛物語』を書いてみようかと思い付いたんだ」 「それは、読むのが楽しみだわ。あなたなら、きっと素敵な作品が書けるわよ!」  また一つ前向きになったように見えるエズラにクララは笑顔を向け、彼も笑い返してくれた……が、エズラはすぐに目を伏せた。 「本当に、君とは別の形で出会いたかった。それなら、これからも……」 「『別の形』って、『人と霊』ではなくってことでしょう? エズラが『人』として元気になったら、また店に来てくれればいいのよ。いくら本職が忙しくなるからといっても、一週間とか月に一回くらいは自由な時間もあるでしょう? エズラが気が散らないのであれば、ここで一日中執筆してくれても構わないわ」 「それが実現できたら、どんなに幸せだろうな。でも……俺の立場では、どんなに願っても叶わない」  力なく笑うエズラの体の色が心なしか薄くなったような気がして、クララは慌てて別の話題を振ったが、彼はそれには乗らず話を続ける。 「どうして俺が『貴族物語』を書けるのか、クララは疑問に思ったことはないか?」 「……えっ? だって、物語なんだからすべてエズラの創作でしょう?」 「いや、作中で起こっていることは、()()()()()()()()()()()()を参考にして書いている。もちろん、登場人物たちの名や爵位・国名などは違うし、脚色部分も多分に含まれているから、たとえ当事者が読んだとしても気付かないだろうが」 「実際に、エズラが見聞きしたもの……」  エズラの言葉で、クララは瞬時にすべてを理解する。  思い返してみれば、これまでの彼の話の節々にそれらしい言葉があった。  「知り合いの霊媒師のところには真っ先に会いに行ったが、彼も弟子たちも……」  「周りには治癒士たちがいて……」  大勢の弟子がいるのは高名な霊媒師たちで、彼らは市井(しせい)にはおらず貴族のお抱えとなっている者がほとんど。それに、治癒士を複数人依頼すれば高額な治療費がかかるため、庶民では一人にお願いするのがやっとだ。 「……エズラは貴族なのね。しかも、それなりの爵位を持つ家の」 「実は、俺は……」  先を続けようとしたエズラの言葉を遮るように、客が来店した。  その後も次々とやって来る客にクララが対応に追われる中、彼は静かに隅の席に座っていた。 「ねえ、クララちゃん。さっき町で売っていたから気になって買っちゃったんだけど、この噂を知ってた?」  声をかけてきたのは、常連客の一人であるハンナだった。  クララの母よりも年上である彼女が手にしていたのは、嘘か誠かわからない有名人のゴシップネタが印刷された紙で、よく店に持ってきてはクララにも見せてくれるのだ。 「ハンナさんは、ホント好きですね~。それで、今日はどんな噂話が載っているんですか?」   「それがね、第四王子殿下が危篤状態なんですって! まだ、十九歳とお若くて、婚約者もいらっしゃるのにねえ……」 「それって、本当の話なんですか? こんな記事を載せて、不敬罪に……」  何気なく紙へ視線を送ったクララの目が、大きく見開かれる。そこには、クララのよく知る人物に酷似した肖像画が大きく掲載されていた。  記事には、関係者の話として『数日前から第四王子であるエンズライト殿下が危篤状態にあり、今なお予断を許さない』とある。  震える手で紙を握りしめたクララが顔を向けたのは、エズラが座っている場所。彼は視線を逸らさずに彼女のほうを向き、肖像画と同じ顔で微笑んでいた。  ◇  今日は、店の定休日。  いつもなら自宅で読書に勤しんでいるクララがやって来たのは、エズラの隠れ家だ。  昨日、最後の客が帰る時間まで店に留まっていたエズラは、「明日きちんと話をしたいから、あの家まで来てほしい」と彼女に告げ姿を消す。  行くかどうか最後まで迷っていたクララだが、覚悟を決め、ここにやって来たのだった。  部屋に入ると、エズラは執筆していた椅子に座り待っていた。 「良かった、来てくれて。もう会ってもらえないと思っていたから……」  嬉しそうに笑うエズラに促されるかたちでクララも隣に腰を下ろすと、彼はおもむろに口を開いた。 「まず、今まで正体を隠していたことを謝罪させてほしい」 「あなたが謝る事なんて、何もないわ。だって、その……王子殿下が危篤状態なんて国の重要機密事項でしょう? それに、もしあの時伝えられていても、私は信じなかっただろうし」 「ははは……たしかに、クララは俺が『エズラ』だと言っても、最初は信じてくれなかったな」  苦笑しているエズラを眺めながら、クララはほんの数日の間に起こった出来事を思い返していた。 「いきなり『おい、おまえ』って言われたときは何て失礼な霊だと思ったけど、王子殿下なんだから当たり前よね。私のほうが不敬だったわ……」 「あのときの話は、是非とも君の記憶から抹消してほしいな。俺も忘れるから」 「ふふふ、残念ながら印象に残っているから、忘れられそうにないわね」 「そう言うと思ったよ」  二人で顔を見合わせて笑ったあと、エズラは真面目な顔つきになる。 「クララにだけは真実を知っておいてもらいたいが、君が嫌なら無理強いするつもりはない」 「私が一番気になっているのは、あなたが危篤状態に陥ってしまった原因だけど……これも、重要機密よね?」 「君に隠し事はしたくないから聞かれたことには全て答えるが、聞いていてあまり気持ちの良い話ではないぞ。それでもいいか?」  エズラの問いかけに大きく頷くクララに、彼は順を追って話を始めた。  ◇  あの日、いつものように王城を抜け出したエズラは、隠れ家に向かって歩いていた。  今日の彼は、先日書き上げた新作を再度推敲したあと時間が許せば版元へ持ち込むつもりなのだが、自信作だと思っている物語を版元の主人がどのような評価を下すのか……楽しみ半分不安半分の心持ちだ。 「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが……」  エズラに声をかけてきたのは、旅支度をした小柄な中年男性だった。  街中を歩いていると道を尋ねられることがたまにあり、これまでと同じように気軽に応じる。  道を教え、礼を言われ、挨拶をして旅人とすれ違った瞬間だった。脇腹に激痛を感じたエズラは、声を発することなくその場に崩れ落ちるように倒れ、気付いたときには空をさまよっていた。 「どうやら、俺は命を狙われたらしい」 「そんなことが……」  絶句し次の言葉が出てこないクララとは対照的に、エズラは冷静に話を続ける。  自分は死んだと思ったエズラは光が導くほうへ引き寄せられるように向かっていったが、ふと脳裏をよぎったのは今日版元へ持ち込むつもりだった新作のこと。  世話になっている版元の主人は人気作家であるエズラに対しても、「この挿話(エピソード)は、面白くない」とか「この話の展開は、不自然だ」とはっきり指摘してくれる。  彼の評価を聞くまでは死ぬに死ねないと考えを改めたエズラは逆行して現世に残り、王家お抱えの霊媒師に協力を依頼しようとしたが、彼が偽物だったと知り絶望してしまう。  目的を失い街をさまよう傷心の彼の目に留まったのが、目を輝かせながらエズラの本を熱心に読みふけるクララの姿だった。 「悪いとは思いつつクララの様子を覗かせてもらっていたら、君と目が合って……」 「それで、私に話しかけたのね」 「部屋に俺の本が何冊かあったから、愛読者の君ならどんな感想を持ってくれるのか知りたくなった。だから、話を持ちかけたんだ」  エズラは机の引き出しを指さす。 「この中に完成した原稿が入っているから、持ち帰ってほしい。それ以外にも、書きかけのものやメモなどもある」 「あなたの大切なものだから、大事に保管しておくわ」  引き出しを開け中身をすべて取り出したクララは、持ってきた鞄に丁寧に入れる。 「この家の鍵は、クララが持っていてくれ」 「わかったわ。エズラがいつ来ても大丈夫なように、ここは私が管理しておく」 「いや、その必要はない。この家は売却し、君に不要な物はすべて処分してくれ。世話をかけて申し訳ないが、ここにある初版本と原稿、それと残った金を手間賃としてぜひ受け取ってほしい」 「エズラ……急にどうしたの? また会いに来てくれるんでしょう?」  前向きになっていたはずのエズラの心変わりに胸騒ぎを覚えたクララは尋ね返したが、彼は小さく首を横に振った。 「残念ながら、俺にはもう時間がないらしい。さっきから、ずっと俺を呼んでいる声が聞こえていて……もう行かなければ」 「そんな……私はまだ、物語の感想も伝えていないのよ!」  悲鳴に近い声を上げたクララに、エズラは優しいまなざしを向ける。 「クララ、君と出会えて良かった。今まで本当にありがとう。どうか、これからも元気で……」 「エズラ、待って!!」  クララが伸ばした手をエズラは両手で優しく包み込むとゆっくりと目を閉じ、フッと消えた。  それは、瞬きをするようなあっという間の出来事。  しかし、クララは彼の手の温もりをたしかに感じ取った。  数日後、第四王子エンズライトの逝去が発表される。  国民は若くして亡くなった彼を悼み、冥福を祈り、喪に服した。    クララは部屋の棚に置いてあるエズラの遺作となった原稿の前に花を供え、一人静かに涙を流したのだった。  ◇  後日、大々的に行われた葬儀には多くの参列者が詰めかけたが、エンズライトの棺の隣にはもう一つ棺があった。  それは、彼の婚約者だった公爵家令嬢のもので、彼の死を聞きショックのあまり床に臥せっていたが、後を追うように亡くなったのだという。    婚約後は公務の場で仲睦まじい姿を見せていた彼らの悲劇は悲恋として語り継がれ、その後、歌劇や物語の題材となっていく。  ◇  エズラの死から半年後、クララは今日も彼の隠れ家にいた。  彼は家を売却しろと言っていたが、第四王子だったエンズライトが『作家エズラ』として生きた証が無くなってしまうような気がして、彼女はどうしても処分することができなかった。  エズラの遺作となった原稿も、クララはまだ読んではいない。    彼の遺品はすべてクララの家で大切に保管してあるため、この家には空になった本棚や机などの家具しか残されていないが、店の休業日のたびにここを訪れては掃除をし、家から持参した本を読むことが日課となっていた。 「ついに、読み返しも終わっちゃった」  エズラから譲り受けた本を出版順にゆっくりと読み進めていたが、ついに読み終えてしまった。  今日読んでいたのは、エズラがエズラであると証明するためになけなしのお金で買った本の初版本。  登場人物たちの名をメモで確認しながら読んだことが、つい昨日のことのように思い出される。 「あちらの世界では、婚約者の方と幸せになっているといいけど……それにしても、人を使うことが上手な王子様だったわね」  クスッと思い出し笑いをしたクララは、本を鞄へしまうと立ち上がる。  次の休みの日は友人のエイミーとの約束があり、ここに来ることができないため、今日は家中の窓を全開にして入念に空気の入れ替えをしていたのだ。  家の戸締りをすべて終えたクララのお腹がグーと鳴る。今朝、朝食を食べたあとは何も食べないまま、もうすぐ夕刻となろうとしていた。  読書に夢中になるあまり食生活を疎かにすることを先日母親から注意されたばかりのクララは、「母さん、ごめんなさい」と心の中で反省しつつ家路についた。  家に戻ってきたクララは、店の前に人が立っていることに気付く。  眼鏡をかけた、端整な顔立ちの背の高い若い男性だった。 「あの……申し訳ございませんが、今日は休業日でして」  男性を見上げながらクララが謝罪すると、彼は印象的な碧眼の瞳でにこっと笑う。  短髪の彼の髪の中で唯一長めの前髪が、夜風に吹かれてサラッとなびいた。 「いや、今日が店の休業日なのは知っていたから、気にしないでくれ」 「そうでしたか。明日は営業しますので、よろしければまたお越しください」  深々と頭を下げたあと男性に背を向けたクララに、後ろから声がかかる。 「『おい、おまえ、俺の姿が見えているだろう? どうして、何も反応しない?』」  「……えっ?」  聞き覚えのある言葉に思わず振り向いたクララに満足げな笑みを浮かべた男性は、続けて言葉を投げかける。 「『お~い、さっき目が合ったのはわかっているぞ。俺を無視するな!』」 「まさか、あなた……エズラなの?」  信じられないと言わんばかりのクララに、男性は眼鏡を外し顔を近づけてきた。  そこにあったのは、見慣れたあの顔……金髪に緑眼のエズラその人だった。  ◇ 「もう、びっくりするじゃない! 来るなら来るって、先に言っておいてよ!!」  店のカウンター席に座ったクララは、隣にいるエズラに不満をぶつけていた。 「クララを驚かせようとしたが、先触れを出しておいたほうがよかったのだな」  すまなかったと謝るエズラに、唇を尖らせていたクララが吹き出す。 「ふふふ……冗談よ。エズラに驚かされて悔しかったから、ちょっと意地悪を言いたかっただけなの」 「そうか、それならいいが。また君を怒らせてしまったのかと、肝を冷やしたぞ……」  胸に手を当て明らかにホッとした様子のエズラを、クララは横からまじまじと観察していた。  以前は長く一つに縛られていた髪が今は明らかに短くなっていて、聞こえてくる声が記憶にあるものとは若干違う。それに、顔の血色が良いように感じるのは気のせいなのか。  着ている服も前とは別物で、さらに瞳の色が変わる眼鏡までかけていて、顔をよく見ないとエズラとわからないようになっている。 「どうした、俺の顔に何かついているのか?」 「ううん。エズラが以前とは別人みたいだから、多少違和感があるだけ」 「そうだろう? 俺は生まれ変わったからな、クララがそう見えてもおかしくはない!」  うんうんと自分で納得したように大きく頷いているエズラに、クララはまた笑いがこみ上げてくる。 「もしエズラが物語みたいに本当に生まれ変わっていたら、まだ生まれたばかりの赤ちゃんよ。こんなに大きいはずがないわ。まあ……あなたは霊だから、変幻自在ってことよね」 「……うん? 『霊』って、誰のこと?」   「もちろん、エズラのことよ。あちらの世界に行っても、また会いに来てくれてありがとう。そういえば、婚約者の彼女とは仲良くやっているの? 皆があなたの悲恋を嘆き悲しんでいたし、私は家族の話も聞いていたから、向こうで彼女と幸せに暮らしていたら嬉し……」 「ちょっと、待って!!」  突然眼鏡を外し、大声を張り上げたエズラにクララは驚いて飛び上がるが、彼は頭を抱えたまま微動だにしない。  時折「どうりで、驚きが少ないと思った」や「まさか、話がかみ合っていないとは……」と呟く彼を、クララは不思議そうに横から眺めていた。 「えっと……何から話せばいいのか頭の整理はつかないが、まずは大きな誤解から解いていこうと思う」 「エズラが何のことを言っているのか、私にはよくわからないけど……どうぞ」  首をかしげながら先を促したクララの手をエズラは両手でそっと包み込むと、「どう、わかった?」と綺麗な緑眼を向けた。 「すごい! エズラの手の温もりがわかるわ!! 前は一瞬だったけど、こんなこともできるようになったのね」  感動するクララに「これでは、ダメか……」とため息を吐いたエズラは、少し躊躇したあと今度は彼女をギュッと抱きしめる。 「いきなり抱きしめてすまない。でも、これならクララもわかるだろう? 俺の体温とか、息遣いとか、鼓動とか……」 「エズラから良い匂いがするけど、気のせいかしら? それに、あなたの激しい動悸を感じるのは、なぜ?」 「それは、君を抱きしめているから……って、そうじゃなくて、これでわかっただろう? 俺は霊ではない」 「……えっ?」 「生きているんだ」 「…………へっ?」 「俺は、死んではいない」 「………………ええええ~!?」  店内に、クララの大絶叫が響き渡った。  ◇ 「ありがとう」  クララから手渡しでコーヒーを受け取ったエズラは、美しい所作で一口飲むと「ふう」と息を吐いた。  「君の淹れたコーヒーを、一度飲んでみたかった」と微笑む彼をじっと見つめていたクララは、「はあ」と大きなため息を吐く。 「カップも持てるし、飲んだコーヒーも漏れていない……エズラは、本当に生きているのね」 「理解しやすいように行動で示していたのに、クララは全然気付いてくれないのだからな」  意外に君は鈍感なんだな、と呆れたまなざしを向けてくるエズラを軽く睨んだあと、クララは真っすぐに向き直った。 「何か複雑な事情があるみたいだけど、これも間違いなく重要機密……いや、国家機密よね? それを私が知って良かったのかしら」 「前にも言ったが、クララにだけは真実を知ってもらいたい。でも、君が嫌なら……」 「もう、ここまできたら『乗りかかった船』よ。何があったのか、最後まできっちりと話を聞かせてもらうわ!」  覚悟を決め堂々と宣言したクララを目を細めて眺めていたエズラは、ゆっくりと口を開いた。  ◇  第四王子としてこの世に生を受けた『エズラ』こと『エンズライト』は、体の弱い子供だった。  「環境の良い静かな場所で、療養を」との医師から勧めもあり、ずっと王家所有の領有地で過ごしていた彼は、静かな遊び=読書をするのが何よりも好きで、その趣味が高じ、自分で物語を創作するまでになる。    十五歳の成人を機に王都へ戻ったエンズライトには、他の兄弟たちと同じように影武者が付けられることになった。  主に大衆の前に出るとき(公務)用の身代わりだが、人前に出ることが苦手だったエンズライトは他の貴族たちとの交流の場も半分は彼に任せ、自身は従者として彼らのやり取りを傍で観察していた。  このときの経験をもとに執筆した『貴族物語』で、その後、彼は『作家エズラ』として活動していくことになる。    エンズライトに見合い話が持ち上がったのは、十八歳のときだ。  相手は同い年の公爵家令嬢で、第四王子であるエンズライトの婿入り先だった。  王族に生まれた以上は最低限の務めは果たさなければならないとエンズライトは婚約を了承するが、相手は派手な生活を好む、彼とは真逆の性格の持ち主だった。  本はほとんど読まず、日々買い物や茶会・舞踏会に勤しんでいる婚約者とはまったく反りが合わなかったが、これも義務だと彼は我慢し耐えていた。  ある日、風邪をひいたエンズライトの代わりに急遽影武者が婚約者の相手を務めたことを契機に、婚約者同伴行事も半分を影武者が担うこととなったが、これがのちの悲劇を生むことになる。 「俺が命を狙われたことはクララにも話したが、実行犯はその場ですぐに捕らえられ、そこから主犯たちが明らかになった」 「『主犯()()』って、エズラの命を狙ったのが複数だったってこと?」 「……俺の婚約者と、影武者だった」 「…………」  衝撃の事実に、クララは言葉が出なかった。 「どちらが計画を立てたのかはわからない。取り調べでは、お互いが相手のせいにしていたからな」 「エズラは、それを見ていたのね……」 「どうして俺の命を狙ったのか、その理由が知りたかった」  実行犯は、公爵家で裏の仕事を担う男だった。  彼は暗殺対象者が第四王子とは知らなかったと主張し、わかっていたらこんな仕事は引き受けなかったと弁明する。  事実、その日第四王子と婚約者は舞踏会に出席しており、庶民の恰好をして一人街を歩いていたエズラをエンズライトと見破れる者は誰一人いなかっただろう……入れ替わりを知る、主犯の二人以外は。    婚約者として振る舞っているうちに二人は親密になり、ある野望を抱く。  街中で強盗に遭遇したと見せかけて秘密裏にエンズライトを暗殺すれば、入れ替わったまま結婚できると考えたのだ。  エンズライトが身元不明のまま庶民用の墓地に埋葬されてしまえば証拠は残らず、彼は王城をこっそり抜け出しているため行方はわからず、本物が行方不明でも表向きは影武者が存在しており婚約は継続される計算だった。    そんな彼らの企みを阻止したのは、他でもない家族の愛情だった。 「俺一人だけが……いつまでも子供だったんだ」  ぽつりと呟いたエズラの顔が苦しげに見えて、クララは胸がギュッと苦しくなる。  慰めの言葉も見つからないまま、ただ黙って彼の手を握りしめた。 「国王……父上は度々城を抜け出す俺のために、こっそり護衛をつけてくれていた。だから、街で襲われたときも彼らが城まで運んでくれたし、犯人をすぐに捕らえることができた。母上は生死をさまよっている俺のために、何よりも好物のワインを()って俺の回復を願ってくれていた。それに、兄上たちだって……」  信心深い第一王子は、忙しい公務の合間をぬって何度も教会に足を運び、祈りを捧げていた。  普段は難しい経済学などの本しか読まない第二王子の私室には、エズラの本がすべて揃っていた。  治癒魔法の使い手である第三王子は、魔力欠乏症になるまでエズラの治療に尽くしてくれた。  エズラが気付いていなかっただけで、家族は彼のことを大切に想っていたのだ。 「刺されたときは死ぬほど痛かったし、二人に裏切られたとわかったときは辛かった。でも、自分は家族から愛されていたと確認できたことは良かったと思う。それに……君にも出会えた」  クララの手を握り返したエズラは、穏やかな微笑みを浮かべた。  隠れ家でクララと別れたエズラが目を開けたとき、目に飛び込んできたのは五人の人物……彼の名を呼び続けていたのは、あの世からの使者ではなく家族だったのだ。  何とか一命をとりとめたエズラは、自身の希望を伝える。「このまま『エンズライト』は死んだことにして、これからは『エズラ』として生きていきたい」と。  実行犯、そして主犯の二人は処刑されることが決まっていた。  通例であれば連座で公爵家は爵位返上となるところを、遠戚に代替わりさせることで家の存続を認め、代わりに口裏を合わせることに同意させる。  こうして、第四王子と婚約者の悲恋物語が作り上げられ、真実は闇に葬りさられたのだった。 「まるで、エズラの貴族物語に登場するようなお話ね……」 「『事実は物語(小説)よりも奇なり』とは、よく言ったものだな」  カウンターで食事をしながら、クララとエズラは苦笑いを浮かべる。  話の途中で空腹に耐えきれなくなったクララのお腹が騒ぎ出し、一旦中断して夕食を作ることになったのだ。  霊のときは食事が必要なかったエズラだが、人に戻った現在はもちろんお腹もすく……というわけで、有り合わせの食材で簡単な夕食が出来上がった。  ()王子様にこんな貧相な食事を出していいのかと躊躇したクララに、エズラは「ぜひ、クララの手料理が食べたい!」と懇願し、あっという間に完食してしまう。  少々量が物足りなさそうな彼の皿へ、自分の分を少し分けてあげたクララだった。  ◇ 「それで、エズラはこれからどうするつもりなの?」 「君が売却をせずに残しておいてくれたあの隠れ家に住んで、これからも執筆活動を続けていくよ」 「じゃあ、またエズラの物語が読めるのね! それは楽しみだわ」  満面の笑顔でポンと手を叩き声を弾ませるクララを眩しそうに見つめていたエズラは、食後のお茶を飲み干すとおもむろに口を開いた。 「実は、クララにお願いしたいことがある」 「何かしら?」 「俺は、これから『恋愛物語』も書いていこうと思っている。その手伝いをしてくれないだろうか?」 「出来上がったものを読んで、感想を伝えればいいの?」 「そうだね。ぜひ()()()一番に読んでもらいたい」  その後出版された物語は、のちに「エズラの『恋愛物語シリーズ』」と呼ばれる、『貴族物語』と双璧をなす代表作となる。  男性主人公の他愛ない日常を描きつつも愛する女性への想いがあふれた物語は、世の女性たちの心を鷲掴みにし、「片思い中の彼の恋が成就(完結)するのを見届けるまでは、絶対に死ねない!」と言わしめるほどの人気を博す。  もちろんクララもその内の一人で、「いつ、彼(主人公)の恋は実るの?」とエズラに毎度尋ねているのだが、にっこりと笑う彼の答えはいつも同じ。 「それは、()()()()()だ」  物語は、売れない作家である主人公が、想いを寄せる幼なじみの女性が営むカフェで執筆活動をしながら少しずつ作家として成功していく過程のなかで、彼女との何気ない幸せな日常を描いたもの。 「これは一読者としての感想だけど、いくら何でも幼なじみの彼女が鈍感すぎない? まあ、あのじれったさもこの作品の魅力ではあるんだけどね……」 「『彼女が、なぜ彼の気持ちに気付かないのか?』については、俺も君の意見に完全に同意!しかないよ」 「あはは! エズラは作者なのに、おかしな発言をするのね」  目に涙を浮かべて爆笑するクララを横目に、「俺としては、もっと早く気付いてもらえると思っていたが、どうやら接近(アプローチ)の方法を間違えたようだ……」と深いため息を吐くエズラ。  うなだれる彼へ「何を落ち込んでいるのかよくわからないけど、続きを楽しみにしているわね!」と声をかけたクララが、彼の発言の真意と作品に込められた熱い想いに気付くのは、まだまだ当分先のこと……。
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