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カレンダーが十二月になったけれど、あれ以降、桃川美亜、桜庭正陽、どちらとも連絡を取っていなかった。桜庭からは登校拒否をした日にLINEで謝罪のような長文が寄越されたけど、冒頭の「ごめん」を見た瞬間にボクは読むことをやめてしまった。
部屋の机の上には、クリスマスプレゼントに買った可愛い弁当箱と水筒が紙袋に入れたまま、寂しそうにしている。インフルエンザだと言って一週間休んだけれど、流石に明日の月曜からは出席しないとまずい。そう思っている。
「紅葉、晩御飯」
「はーい」
両親はボクが時々不登校を起こすのに慣れていた。確かに小学校の頃から度々休んでいたら慣れざるを得ないだろう。悪いとは思っているけれど、心に整理をつけたい時には未だにこの強硬手段を使ってしまう。
「あ、今日はカレーじゃん。甘口?」
「中辛」
「王子様くらいでいいのに」
「それよりあんた、明日は学校行くの?」
「うん、まあ」
カレーをスプーンでご飯とよく混ぜてから、口に運ぶ。父さんは辛口の方がいいからタバスコなんて掛けて食べていたけれど、ボクと目が合うと意味の分からない微笑を浮かべていた。
ボクに『性同一性障害』という診断を下された時の両親の気持ちは、正直今でもよく分かっていない。その件についてほとんど話し合いのようなことはしていないし、二人とも何か言ってくることもない。いつかは話さなければならないと思ってはいるけど、自分自身、まだよく自分の気持ちや体のことがよく分かっていないのもあって、延期に延期を重ねて、そのうちにと思っているうちに十七歳になってしまった。
小さい頃から一人娘だったボクを割と自由に見守り続けてくれた両親にはとにかく感謝している。でもその感謝を、ひょっとすると恩を仇みたいな感じで返してしまってはいないか時々不安になった。
「ごちそうさま」
「おかわりは?」
「もういい。先、風呂入るね」
「湯冷めしないようにするのよ?」
「わかってるって」
二階の自室でパジャマと下着を手にしてから、浴室に向かう。
洗面台の鏡に自分の首から下が映り込むと、つるりとした造形の中で僅かに二つ、自分の中の反逆者のように盛り上がろうとしている部分を発見する。最近、少し大きくなった。気にするほどじゃない、と言い聞かせてはいるけれど、本格的にホルモン注射を行うべきなのかも知れない。
まだ色々な迷いの中に、ボクはいる。
一週間ぶりに高校の教室に入ったけれど、誰も奇異な視線でボクを見てくる生徒はいなかった。ただ桜庭だけは教室の入り口で面食らったように見てから、気まずそうに自分の席に座った。
ちょうどボクの席が窓際の一番後ろで、桜庭は廊下側の前から二番目という離れ具合が助かった。
その日は結局、一言として桜庭とは喋らなかった。たぶんそのことを同じクラスの人間の中で感づいた奴もいただろうけど、そういう視線にはいちいち構っていられない。
「あの、美亜は?」
「今日は風邪で休みだけど、聞いてない?」
「あ、わかった。ありがと」
二年三組の教室に顔を出してみたけれど、美亜の友達の三枝成実は一人で読書をしていた。LINEで本当に風邪なのか聞いてみようかと思ったけれど、桃川美亜という名前を見た途端、そうする勇気が出なかった。
ボクはこうしてまた一人で下校する。
小学校の高学年、それに中学二年の時、こんな風に一人ぼっちの時期があった。
そう。
結局自分の理解者なんて、いない。
その次の土曜日。
ボクは手持ちの衣装の中で一番お気に入りのフリルが二重になった丈の短いスカートと、黒と白のツートンカラーになったベストを着て、東京まで出かけた。一人でなんて、今までは絶対に行かなかったのに。原宿に渋谷、池袋。色々声を掛けられたりもしたけれど、苦笑してさっさと逃げ出した。
以前なら楽しくて仕方なかったのに、この日は全然楽しくなかった。そもそも楽しいって何なのかが分からなかった。
地元までの電車を待つ間、駅のホームでぼんやりとスマートフォンを眺めていたら、いつの間にかLINEが入っていた。
桜庭と美亜、二人からそれぞれに。
一瞬だけ躊躇して、先に桜庭の方を見てみる。
> 今日、悪かった。でも、しばらくはこうだわ
そういう真面目なところ、嫌いじゃないんだけどな。
次に美亜のものを見る。
> ごめん。
それだけ。
でも散々考えて、結局何も言葉を見つけられなかったんだろうと思うと、少し微笑ましかった。
ボクはイブまで取っておいた言葉を危うく書き込みそうになって、思い直す。
それからこう返信した。
――桃川美亜さん。イブの日に、二人で会ってくれますか。
(To be continued 「聖夜の理解者」に続く)
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