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ついていない。
盗みに入ろうとしたところに、先に別の人間が盗みに入り、おまけに警察まで来るなんて。
数えきれない人数の警察官が蔓延るこの場所で、僕にどうこう出来る手立てはなく、気を削がれた僕は建物の裏にあるベンチに座り、落ち込む心と一緒に苦いコーヒーを喉の奥に流し込んだ。
僕には得意なことがない。何をやっても平均以下で、こつこつ働いても評価されるどころか叱責を受けるばかり。そのせいで仕事は何度もクビになった。どれだけ頑張っても繰り返される無情な状況に、開き直った僕は、実直であることをやめた。僕が僕である限り、堅実な人生は望めない。それならばいっそ、悪いやつになってやろう。そう思ったのだ。
けれど神様はちゃんと見ているようだ。盗みを働く以前の問題である。悪事を考えた僕は建物内に足を踏み入れることすら許されないらしい。善行であっても悪行であっても、何も成し得られない僕は一体全体どんなことなら出来るというのだろうか。
頭を悩ませていると、右隣に警察官が座って来た。仕事は終わったのだろうか。まだ他の警察官たちは動き回っているが。
視線を察したのか僕の方に顔を向けた警察官と目が合い、何となく気まずくなって会釈をする。
気の弱い僕は、こんなところにいて不審者に思われていないだろうかとどぎまぎするのを誤魔化すように、隣の警察官に話しかけた。
「大変そうですね」
「ええ、まぁ」
「何か事件ですか」
「この建物内に泥棒が入りまして」
「犯人は捕まったんですか?」
「一応」
「あなたは、その、どうしてここに?」
「何と言うか…待機中、のようなものです」
歯切れの悪い返事を繰り返す警察官の様子から、極力話しかけられたくないのだろうと察したのであまり多くは聞かなかった。
おとずれた沈黙にまた気まずくなった僕は意識を違うところへ向けることにした。感覚が鋭くなった口内から苦味を感じる。間違えて押した無糖のコーヒーのせいだ。
不快感をとるため右のポケットをまさぐる。しかし目当ての物があるのは反対側だったようで、ポケットに手を入れるのに邪魔なため、左に置いていたジュラルミンケースを右側に移動させ、改めてそれを探した。指先でとらえた銀紙をポケットから出し、包みを開けてチョコレートを口に放り込む。舌の上で溶けた球体がじわじわと苦みを打ち消す。
右肘にコツンとケースが当たる。これも無駄になってしまった。自分なりに盗みに使えそうな物を揃えて持って来たのに。
そう考えると落ち込んでしまいそうになるが、なおも優しくとろける茶色い甘さが少しだけ心を軽くしてくれたような気がした。
「おい、用意が出来たぞ。それを持って早く来い」
離れた場所から飛んできた声に、横にいた警察官が勢いよく立ち上がり返事をする。思わず目をやると、警察官は僕との間に置いてあったジュラルミンケースを持ち上げ、素早い動きで呼ばれた先へと消えて行った。僕の右側に置いていた、”僕の”ケースを。
どうしよう、中身を見られたら不味い。焦る僕の視界にふと、同じ見た目のケースがうつる。
たしかに右に置いたはずの自分のケースは今し方、あの警察官が持って行ってしまったはずなのに。いや、もしかして無意識に足元に置いていたのだろうか。開けて確認してみようか。だが、万が一自分のケースだったとしても、警察官の目がこんなにある状況で入っている物を見られるのはよろしくない。
そっと持ち帰って確認することにした僕は気配を消すように静かに立ち上がり、ケースに手を伸ばした。
あの警察官は僕の顔を覚えているだろうか。取り違えた事実に気づき、中身について追求されやしないだろうか。
不安が波のごとく押し寄せ、建物から離れようとする歩調は心臓と同じくらい速かった。このケースが警察官の物であるならば、何が入っているのかなんて想像したくもないが、考えずにはいられない。早く帰って確かめなければ。
あぁ、僕はなんてついていないのだろう。
完
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