運命

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 真昼だというのに陽光が射し込まない、鬱蒼とした森で青年は探す。  茶味のある赤銅色の髪が冷風に弄ばれる。 「お嬢様ー!」  声は虚しくも、深淵のように深く吸い込まれていく。  赤と橙の混合した瞳は彼女の姿を求めていた。 「まったく……。勉強の時間はとっくに過ぎてるというのに」  青年は倦厭の情を抑え、周囲を見回す。  足を一歩踏み入れる度、地に点綴する原石が圧砕して低く木霊する。鳥の声はおろか、蝶や虫の姿は一匹もない。  外では情熱的な色が庭を彩るものだが、永遠に近しい間、手入れをしないとこうなるのだろうか。かつては翡翠の鉱石場として発展した森は柱状に剥き出した岩石が連なり、見るからに殺風景だ。  あちこち手探り状態でさまようこと、かれこれ一時間弱。広漠とした森に気落ちし、休憩をとろうと岩石に座った刹那。  森には不釣り合いな歌声が耳に届いた。  震えるように葉が鳴り響き、力強い娘の明澄な声が樹木をすり抜ける。心酔したいところだが、残念ながらそんな場合ではない。 「ここから遠くない場所のようですね」  独り言を呟くと瞼を閉じ、本来の一角獣としての聴力を頼りに居場所を探る。  ――帰りたい。 「よりによって奥ですか」  長い吐息をつく。  森を掌握してる者でも、下手すれば永久に迷いこむいわくつきの場所である。  よくそこまで行けたものだ。屋敷にいる古金の瞳をした同胞なら明らかに迷子になるだろう。  渋々青年は岩石から降りた。 「はぁ……昼になる前に連れ戻すとしますか」  優先すべきことを念頭に気配を隠し、慎重に歩を進めた。  心地よい歌声が薄暗い森を淡く灯す光のようだ。一抹の澱みもなく、小川のように浸透していく。  ――愛おしそうに狂おしく旋律を変えながら。  神苑の廃墟――円形を留めず朽ちた柱が左右に並立し、哀愁が漂う。古代、聖域と謡われた面影もない。  歌声は深部から流れている。  草木をかき分け、娘の姿が見えたのと同時に止んだ。  切り崩したような石が疎らにある中、唯一楕円形の岩石が陽光を受けていた。先ほどと移り変わって頭上には紺碧の空が広がり、全裸で娘が横たわる。  娘は青年を一目見るなり、含み笑いを浮かべた。 「お嬢様、変なところに行かないでくださいと何度も申したはずです」 「探さなくていいのに、シリウス」  細面の繊細な顔立ち、触れるのを躊躇わせる雪白の肌。  絹のように滑らかな白銀の髪、真紅の瞳は鮮血よりも透き通る。隔世遺伝のアルビノのような容姿だ。  鎖骨や肩の節が少し目立つが、程よくついた筋肉が彼女を一層妖艶にさせる。  何年経とうと変わらない容姿を保持し、特殊な血筋ゆえに常人より長く生きる、娘。 「当たり前です」  ため息をつくと、彼女は朗らかに喉を鳴らす。 「しょうがないじゃない。冷たくて気持ちいいんだもの」  数メートルある巨大な岩石は日中陽光が注ぎ込む。  にも関わらず、水のように冷たい。  聖域の名残で簡単にいえば、御神体の上で彼女は転がっているのだ。 「そういえばクロの姿がないのだけど?」  白々しく尋ねる図太さに内心呆れを通り越して感心する。 「ディアスなら『誰があんな森に行くか!』だそうです」 「なんだ、つまらないな。音痴だからかしら」 「本人に言ってあげてください。ほら、屋敷に帰りますよ」  背筋を伸ばし、欠伸する娘の元へ近づく。 「うーん、まだいたい」 「マスターに叱られますよ」 「僕には興味ないもん」  淡々と反論され、シリウスは苦笑する。 「お洋服を用意しましたので、四の五の言わず……」 「スースーするスカートは嫌い」  悪げもなく脱ぎ捨てたコートを「拾え」、と命令される。  仮にも令嬢なのだから、とシリウスは進言しなかった。彼女が着ないと決心したら最後、断然通す。  先刻からため息ばかりついてる気がする。  自由奔放な彼女に命じられるままに、コートを拾った。  娘の名をゼロ・E(イヴ)=エディンという。 『名前、気に入らない』  エディン家――かつての名だたる王家の血統。  王家に最も近しい由緒正しき直系の姫で、今も健在していたら優雅な生活を謳歌しているはずであった。  小王国が大惨事で跡形もなく水底に沈没しなければ。  唯一生き残った少女が、屋敷に連れてこられたのは遠雷が聴こえた蒸し暑い日のこと。十一を迎えたばかりだった傷心の彼女を保護することが知らされたのは、翌日だった。 「アレを引き取る」  二人の弟子を並べて老人は言った。  生気を失い、鮮やかな真紅の瞳は灰がかかったように淀み、無表情で少女は床に伏せていた。 「脱走とかするかも知れぬから始終監視しろ」  一瞬部屋の温度が下がったように感じ、ディアスと視線を無言で交わした。 「あとは任せる」  圧倒的に不足する説明を切り上げ、用は済んだとばかりに老人は足早に部屋を出てしまった。  しばらく沈黙が支配する一室の中で、シリウスは力が抜けたような少女の背を見た。  消え入りそうな呼吸が痛々しかった。触れると壊れそうな気がして、あまり積極的に関われなかった。何日かはある程度、少女が動くまで様子を見守った。  なんとか興味を引かせようと人形や花やらを贈ったが、表情筋は仮面のようで動かなかった。二人で少女を連れ、庭園で散歩もした。   反応をし始めたのは、ディアスが月の石を披露した時だった。  その後、シリウスも追うように少しずつ話しかけた。  名前も覚えてくれず、やっと口にしたのは「アカガネ」「クロ」。髪の色で呼ばれ、揃って脱力したものだ。  今はちゃんと呼んでくれるが、遊ぶときは昔のあだ名でからかうことを覚えたらしい。  十五のある時期を境にゼロはエディン家独特の長寿に突入し、生活もすっかり身についた。  ただ一つ、屋敷から出ることを許されない不自由を除いては。 ◆  風雅なアンティーク調の巨大本棚が壁一面に並ぶ部屋。 中央に丸い桐のテーブルを囲むように椅子が六つ。 それ以外の家具はない。 「僕も聖獣欲しいなー。なんか方法ないの?」  ミルク色の柔らかな絨毯で寝転がるゼロの放った言葉に、笑ったのは同様に転がる兄弟子だ。  柔らかなパーマのかかった黒髪、古金色の瞳をした青年は手を少女へ伸ばした。 「聖獣ってのはな。バカ高い魔力と精神力と体力がねぇと扱えないの。お分かり、お姫様?」  頬をみょーんとつねられ、ゼロは離れた手を噛む真似をした。 「本で読んだから知ってる。ディアスのバカ」  子供を諭させるように言われ、ゼロは不機嫌に銀白の髪を指で弄りまわした。 「ま、聖獣なんて目にかかるのはそうないぞ。本来二人も会うのは希有なことなんだからな」 「そうですよ」  その言葉に姿勢を正しくして椅子に座っていたシリウスは頷く。  一般に聖獣は極めて警戒心が高く、また人前でも人間と変わらない姿を保つ種族で使役するには相当の魔力を必要とする。  世界で高名な魔術師ほどの魔力でないと、まず扱えない『代物』だ。  真紅の瞳が聖獣の化身を相互に移す。 「二人ともお祖父さまのじゃなかったらいいのに」 「話聞いてた?」「聞いてましたか?」 「聞いてる」  二人のもの言いたげな視線をよそにゼロは寝転がる。少しも勉強する気がないらしい。
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