運命

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「これはどうだ?」  節の目立つ、ディアスの指が文言を読むようになぞる。ゼロはそのままの体勢で視線を書物の方に移した。 「えー、かわいくなーい」  いかつい獣を勧められ、ゼロは一蹴した。 「お前はどれがいいんだ」 「ふぁぁ……眠い」  ゼロが堂々と欠伸をすると、兄弟子が冷ややかに直視する。全然知識を増やそうという姿勢のないゼロと、半端やけくそ気味のディアスの会話に本の裏で笑いを噛みしめた。  兄弟子に憐れみを感じるが、自分に指導力は皆無だ。 「神通力を利用するんだよ。自分の血を代用にすれば、あとは神の子孫だって忘れなきゃいい」 「ふーん」 「ちなみに先月やったばかりだろ。何回同じこと言わせてる」 「難しいとこ覚えられない」  ゼロがそっぽをむく。 「……だぁ!」  ディアスが根負けして中断した。ゼロは鼻歌混じりに好き勝手に寝ている。彼を振り回すのは日常茶飯だ。そんな様子を直に見るのは久しぶりで、軽く笑ってしまい、ヒヤリと冷たい視線を発される。  可哀想な役目を押しつけてしまったと思う反面、ゼロの勉強係にならなくてよかったと安堵する自分がいるのは秘密である。 「勉強はやめて実戦練習とするか」 「僕、なにか壊すけどいいの?」  含みを持たせた聞き流せない不安材料に、シリウスは訴えるようにディアスへ顔を向けた。  ディアスはぎょっとし、慌てて伏せ寝中のゼロを捕まえようと手を伸ばす。 「おい、こら。まずはコントロールからだって言ってるだろ」 「コントロールもなにもちゃんとしてるってば」  手を振り払ったゼロは、寝転がり、誤って本棚に軽くぶつかった。 「いててて」  二人は顔を見合わせ、同時に大きくため息をついた。その後、シリウスはなるべく壊さないようにとディアスに悲願した。  所変わって、錦鯉が泳ぐ水の庭。  噴水を中心にした水路が這うように流れ、陽光によって宝石のように煌めいている。 「お前はバカか!? それはもうちょっとコツをあげないとあぶねぇの!」  ビクッと錦鯉が水中で反動した。 「もうちっとじゃん。もしかしたら出来るのに」 「今はダメ!」  シリアスと別れた後の真昼を過ぎた壮大な庭で、ディアスとゼロは子供じみた言い争いを勃発していた。注意された方は舌打ちをし、面白くなさそうに彼を見ている。  サボりたがる弟子を強引に連れ出したのはいい。問題はいかに、やる気を引き出して悪巧みをしないかに限られた。前回はゼロが火炎を誤用したせいでボヤ騒ぎを起こした。  その時は家主の叱責を一身に受け、一方の当事者は注意だけで済んだ。古い記憶から現在に至る道のりに、ディアスは感心を通り越してあきれかえるしかなかった。   無意識にぶつくさ文句を呟いたのを遮ったのは、火花の音。いやーな予感がして即座に止める間もなく、噴水を指して鼻歌混じりに何か呪文を口にした。 「おい待……!」  瞬間、白煙が周囲を覆い風に払われた。 「あちゃ、失敗」  水が瞬時に消失し、高級な錦鯉が数匹苦痛に跳ねてる。旨そうにピチピチと跳ね、食欲を駆り立てるがそんな場合ではない。 「ふむ。やっぱ無理だったな」 「やっていうか。早く水戻せ」 「無理な注文だ、魔力が尽きた」  ゼロが手を振り、燃焼切れの合図である灰煙が小さく破裂した。  無理を強調されて脱力のあまり肩を落とす。  留意したのに事が起きた以上、後悔は無駄である。 「ったくよ」  指を鳴らし、枯渇した噴水の上に雨を降らせる。 「なに?」  自然と向けたディアスの視線に、ゼロが気づく。 「お前のために命を捧げる側にしたら、たまったもんじゃねぇと思ってよ」 「どうかな、その時になってみないとわからないよ?」 「シリアスとオレは護るけどな」  水かさが元通りになり、錦鯉は何事もなく泳ぎ始めた。 「へぇー? でも、シリウスはお祖父さまに忠実だし。ディアスだけは僕のところにきてくれるんでしょ」  わずかに薄桃に染まる白い頬、屈託のない笑みを浮かべた。  傍目に視界に入り、思わず視線を池に戻す。 「お前に惚れてるオレの身にもなれよ」 「それは知らないぞ」  本当に昔と比べ、笑顔を見せる回数が増えている。おかげで、あの小さかった少女に振り回される日々がこようとは考えもしなかったのだが。 「今度は水浸しになりました、はやだからな?」  数拍――返事がない。 「聞いてるか、ゼ……うわ、お、おぉっ」  背中を強く押され、あわれディアスは悲しい音を出して噴水に落ちてしまった。 「……ごほっ!! 何しやがんだ、アホッ」  思わず飲み込んだ水を噴水のように吐き出す。 「あははは、きれいな夜色の髪が濡れるとワカメみたいだな」  まさか言った自分が水浸しになるとは、なんという運命のいたずらだ。 「このバカが……」  背を向け小刻みに肩を震わせたゼロに、諦めとも似た視線を刺す。涙を払拭したゼロに、引き上げるのを手伝ってもらおうと声をかける。 「手を貸せ」  不満そうな声がわき、あえなく拒否される。 「やだ。面白いからそのままで」 「冗談をいうな。さっきから鯉がつつくんだよ」  噴水は思いの外、足場がなく深い。底が浅そうだったのは、錯覚を生む魔法がかかっていたらしい。やむなく足で一匹数十万を押しのけて泳ぐ。 「だいたい……」  いつの間にかゼロが見下ろし、か細い指が唇に触れる。  何かを欲する瞳がディアスの本能を動かす。  白銀の長い髪が少しでも濡れないように顔を寄せる。 少女の白い睫が微かに震えた。淡く甘い香が漂い、柔らかい唇についばむように触れる。  何度か繰り返される濃厚な口づけにゼロが小さく唸る。  名残惜しそうに解放すると、真紅の瞳にじっと直視される。 「ねぇ、続きやらない?」 「駄目。次は帝王学の勉強だろ」  陶器のように白い手が体温の低い頬へ伸びる。 「お願い」  いつも以上に声色を変え、可愛く懇願される。ふわりと浮かべた笑み、その表情は理性を壊すほどに魅力的だ。 「……とりあえずシャワー浴びてからだ。風邪ひく」
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