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「なんでこんなモノ、持って来ちゃったんだ」
俺は途方に暮れて手の中のものを見た。
自分の持ち物の隣に落ちていたので、咄嗟に拾い上げてしまったのだが、気が動転していた所為でそのままポケットに突っ込んだらしい。
仕方がないじゃないか。目の前には、死体が転がっていたのだから。
ぶるりと身を震わせて、万年筆を道端に棄てようとして思いとどまる。誰かが拾って、警察に届けたら、自分の指紋が出るのではないか。
「俺はただ」
そう、俺は泥棒に入っただけだった。
それなのに。仰向けに倒れた死体を思い出して、また身体に震えが走る。流行病で仕事がなくなり、食うに困って空き巣で糊口を凌ごうとしたのが間違いだった。一度目にすんなりと大金をせしめたビギナーズラックに味を占め、調子に乗ったのだ。その時の金で細々と食いつなぎながら、コンビニバイトでもなんでもすればよかったのに。働かずして手に入れた金は、二ヶ月分の給料よりも多かったのだ。真面目に働くのが馬鹿らしくなった。だから。二度目に握ったドアノブが、何の抵抗もなくかちりと動いた時に、運命だと思ったのだ。
そうして踏み込んだ部屋で、まさかあんなことになろうとは。
己の不運を今さら悔やんだところで、どうにもならないことは判っている。
処分に困った万年筆も、かなりの値打ち物の様に見えた。売れば幾らかにはなるかもしれない。むしろ、道端に棄てるよりは目立たないだろう。そう思い直してポケットに戻しかけ、俺はびくりと身を竦めた。
真横に、人が立っている。
今さっきまで誰もいなかったはずなのに、いつの間に。
男は息もかかるほどのすぐ傍で、ただ呼吸音だけを響かせて立っている。
横目で様子をうかがって、また心臓が縮み上がった。男の顔は闇でも貼り付けたようにどす黒く、何処も見ていない目はどろりと濁っていた。瞬間的に立った鳥肌で、本能が告げている。これは、人ではない。服装だって、さっき俺の目の前に倒れていた男と同じじゃないだろうか。ちゃんと見た訳ではないから確証はないが、確かこんな感じだった。
だとしたら。
走って逃げようとするが、膝が震えてままならない。
だからといって、悲鳴を上げる訳にもいかなかった。人に見られては、困るのだ。
ひい、と情けない声が呼吸に合わせて唇の隙間から漏れたのを、ぐっと飲み下す。じりっとにじるように足を踏み出せば、男は歩むでもなく、滑るように付いてくる。いや、滑るというのも正確ではない。動いた気配はまるでないのに、気がつくと、隣にぴったり並んでいるのだ。ほんの僅かに、こちらに首を傾けて、今にも言葉を零すかのように紫色の唇を半開きにして。
「見るな見るな見るな」
小声で呟いたのは、自分に向けてか、隣の男にか。
家に帰り、カーテンをぴっちりと閉めて、テレビを点ける。玄関で男を閉め出そうと隙間から身体をねじ込んだが、内鍵をかける俺に寄り添って男が身を屈めた時には泣きそうになった。
ニュースにはまだ、死んだ男の話は出てこなかった。
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