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太陽と昼休みの憂鬱
『愛は地球を救う』
そんなフレーズをいつかどこかで聞いたことがある。
愛ってすごいな。こんなに広くて果てのない地球を救っちゃうんだろ。偉大だな。でも一体地球の何を救うんだろう。環境問題か。人権問題か。それとももっと漠然としたものなのか…。
いや、待てよ。そもそも地球は救ってくれって頼んだのだろうか。俺キツイから助けてくれよって?まさか「愛」は愛の押し売りしてないよな。愛の押し売りほど怖いものはないぞ。
ふぅっと、ため息にも聞こえるような息を吐いて、莉玖は空を見上げた。頭上には、まさに抜けるような青空が広がっている。
長い冬が終わり、ようやく春が来た。
ような気がしていたのに、5月に入ると優しくて心細かった春の雰囲気はどこへやら。太陽もどんどん強気になってきて、昼休みに校舎の屋上でくつろごうとしている学生たちに、容赦なくギラギラとした紫外線を浴びせてくる。
「何?莉玖、考え事?」
隣であぐらをかいて座っていた桐生が、目を細めてこちらを見ている。日差しが眩しいのだろうか。右の口角を上げて、微笑んでいるような困っているような、微妙な表情。
桐生はよくこの顔をする。その度にいつも、莉玖の中に少しの緊張が走る。
桐生は持っていた炭酸水のペットボトルのふたを開けた。プシュッと気持ちのいい音がする。
「フラれたこと、まだ引きずってんの?」
その言葉を聞いた途端、目の前で大の字になって寝ていた青木と吉田が飛び起きた。
「マジで。莉玖。」
「莉玖、お前フラれたの。」
同時に口を開く。
2人とも驚きながらも、笑ってしまいそうになるのを堪えている様子だ。
「莉玖が付き合ってたのって、2年のリカちゃんだろ。結構可愛かったのに。」
「もったいね。お前、何したの。」
本当につくづくデリカシーのかけらもない奴らだ。こうなることが嫌だから話さないようにしていたのに。
桐生のやつ、爆弾落としやがって。
「別にフラれたわけじゃ…。」
莉玖はぼそっと反論した。
青木と吉田が座った体制のまま、にじり寄ってくる。目を光らせながら、次に発せられる言葉を待っている。突然投下された友達の不幸話が、楽しくて仕方ないのだろう。
一方、爆弾犯の桐生は、我関せずといった様子でペットボトルに口をつけた。
「先輩は本当に私のこと好きですかって聞かれたから…。」
青木と吉田の目は限界まで見開かれ、今にも目玉が落ちそうだ。
「わからないって答えた。そしたら、別れてくださいって。」
2人の顔から一気に力が抜けていく。口も半開き。何というアホ面。
「何だそれ。お前、バカなの。」
「そこは好きだよって言って、抱き寄せてキスだろうが。」
なぁ?と吉田が桐生に同意を求めたが、桐生はふっと鼻で笑っただけだった。
「モテるやつの考えることってわっかんねぇな。俺ならあんな可愛い子、絶対別れたりしない。」
「青木よ、そもそも俺らがリカちゃんみたいな子と付き合えるわけがない。」
「あぁ、マジそれな。」
2人は目を見合わせてうひゃひゃと笑い、立ち上がった。
「そろそろ行くか。昼休み終わる。」
「…そうだな。」
そう言って桐生も腰を上げたが、思い出したように莉玖の横にしゃがみ込んだ。
「お前は本当に素直だよ。俺はいいと思う。フラれたことなんて気にすんな。」
ポンポンと莉玖の左肩を叩くと立ち上がり、ドアに向かって歩いて行く。
そんな3人の後ろ姿を睨みつけ、莉玖はチッと舌打ちをした。
みんなして、フラれたフラれたってうるさい。だから俺はフラれたわけじゃないって言ってるだろう。だってフラれるってことは、相手のことを好きっていう気持ちがあることが前提なわけで。
俺はリカのこと、好きってわけじゃなかった。…かといって、嫌いでもなかった。
半年前、告白されたからとりあえず付き合ってみようと思ったのだ。
まぁ、可愛かったし。一応キスくらいはした。
でも、好きだと自信を持っていえるほどにはならなかった。ただそれだけだ。だいたい好きって何だ。好きって、どういう気持だっけ…?
「莉玖ーっ。早く来いよ。」
桐生がドアの前で呼んでいる。莉玖は立ち上がり、早足で向かった。
…好きって、どういう…?
さっき叩かれた左肩に桐生の手の感触が残っている。莉玖はそっと、自分の右手を乗せた。
屋上のドアを閉めて校舎に入ると、桐生はすでに階段を半分降りた場所にいた。青木と吉田は、先に行ってしまったらしい。3年生の教室は2階にある。
外の天気が良すぎたせいか、校舎の中がだいぶ暗く感じる。
一段飛ばしで階段を降りると、すぐに桐生に追いついた。桐生の後ろをゆっくりついて行く。
莉玖はその後ろ姿を、斜め上からまじまじと見つめた。
桐生を見下ろすことは滅多に無い。莉玖よりも身長が数センチ高いので、2人が並んで立つと、莉玖が桐生を少し見上げる形になる。
桐生はスタイルが良い。長身なだけではなく、顔も小さい。手足も長くて、肩幅もある。女子たちが騒ぐのもわかる。
いつだったか、どこかのモデル事務所に声をかけられたことがあると言っていた。名刺をもらうまでもなく、断ったらしい。青木たちがもったいないと嘆いていた。
階段の踊り場の大きな窓からは、大量の光が差し込んできている。その光で、前を行く桐生の髪の毛が茶色く透けた。
桐生はいつも、少しクセのある髪質を上手く利用してワックスで形を整えている。ガチガチに固めるのは好きではないから柔らかいワックスを使っているのだと、以前話していたのを思い出した。
そうやって綺麗にセットされた髪の毛が、桐生の歩く振動に合わせて揺れている。
一瞬、この髪に触りたい衝動に駆られた。首の後ろをゾクゾクする感覚が抜けていく。少し手を伸ばせば届く距離。
この髪の毛の感触はどんな感じだろう…。
自分の指の間を桐生の柔らかい髪の毛がすり抜けていく光景を想像すると、またゾクゾクする感覚に襲われる。
莉玖が右手を伸ばしかけた時、5時間目が始まるチャイムが鳴った。慌てて手を引っ込める。
「やば。急ごう。」
桐生は残りの階段を飛び降りた。莉玖もそれに習った。
ちらっと下に続く階段を覗くと、5時間目を担当する英語の教師がゆっくり昇ってくるのが見えた。
「セーフだな。」
桐生が振り向いて笑う。
「だな。」
莉玖はそう答えたが、やたら心臓が早くて痛いと思った。
…俺は今、一体何をしようとしたんだろう。
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