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甘い噂と入学式の喧騒
二年前。
高校入学式の朝、1年生の教室がある4階の廊下は女子生徒でごった返していた。
「どいてよ」
「見えない」
「やば」
「ホントだ」
何十人もの女子たちが好きなことを口走り、それは言葉ではなく雑音となって廊下中に響いている。
教室に入るよう促す教師たちの叫びも虚しく、雑音は消えることがない。
騒ぎの原因は、ある一つの噂だった。
『モデル級のイケメンが入学してくる』
『しかも二人』
合格発表の後のオリエンテーションで、誰かがその男子たちを見かけたらしい。甘い香りがするその噂は春休みの間にじわじわと広がっていき、入学式当日にこの騒ぎを引き起こした。
1年生クラスの教師たちはすでに諦め顔で、騒ぎが収まるのを待っている。気がつけば、下の階のいるはずの上級生の女子の姿も見受けられる。
1年3組の教室の前が特に賑わっているということは、お目当ての男子は2人とも同じ教室の中にいるということなのだろう。
ここが彼女たちの桃源郷とも言うべきか。
『モデル級の二人のイケメン』を一度に見ることができるという奇跡に、廊下のボルテージは上がっていくばかりである。
さてしかし、その噂の二人はというと。
一人は机に突っ伏して居眠りをしており、もう一人は頬杖をついて外を眺めているという始末。
廊下で起きている騒ぎなど特に気にする様子もなく、二人の周りにはそれぞれ別の時間が流れているかのように見えた。
居眠りをしている彼の名前は、坂井莉玖という。黒目がちの二重で、無造作なマッシュヘアが似合う仔猫系男子である。
もう一人の彼は、桐生望。色白で切れ長の茶色い目が印象的な、いわゆる色素薄い系男子。整った顔立ちで、ミステリアスな雰囲気も兼ね備えている。
見た目は正反対の二人だが、それがまた女子たちにはたまらないらしい。
いよいよ入学式が始まるというその時まで、4階の喧騒は収まることがなかった。
この日、莉玖はひどく眠かった。
昨日の夜はなかなか寝付くことができず、夜中に何度も目が覚めた。午前4時に目が覚めたときには、もう眠ることは諦めてスマホゲームを始めた。それが良くなかったらしい。絶望的に眠い。
だから、入学式が始まるまでの数十分間だけでも寝てやろうと思ったのだ。少しでも気分をすっきりさせたかったのに…。
教室の外がひどくうるさい。女子生徒だろうか。
何人くらいいるのか、言葉が言葉として成立しておらず、ただの雑音にしか聞こえない。そんな状況でも、莉玖は眠ろうと必死だった。
その時、急に肩を揺さぶられた。ひどく不快だ。
莉玖は無視を決めた。
しかし揺さぶりは続く。
「おい。なぁ、起きろって。」
無視。
「おーい。起きろ。」
しつこい。
「起きろって。あれ、どうにかしろよ。」
…あれ?あれって何だ?
莉玖はゆっくり顔を上げた。男子が二人、こちらを見ている。
目の前にいるやつには見覚えがある。同じ中学だ。確か名前は、青木。絡んだことがないので、下の名前までは知らない。
しかし、斜め前の席にいるやつには見覚えがない。違う中学出身なのだろう。
「何?」
莉玖はいかにも不機嫌です、という顔をしてみせた。
青木がへらへらと笑う。肩を揺さぶってきたのはお前かと、掴みかかりたくなる気持ちを抑える。
「寝てるとこ悪いんだけどさぁ。あれ、お前らのせいだろ。」
青木は、廊下を指さして言った。
「あれって…?」
莉玖が廊下の方を見ると、恐ろしいことに何十もの女子の視線と目が合った。ひゃあと、悲鳴にも似た声が上がり、ざわめきが大きくなる。
「え、何。」
若干の恐怖を感じ、完全に目が覚めてしまった。
この状況は何?
「だからあの子たち、お前ら目的で集まってきてんだろ。うるさいからどうにかしろよ。」
「…は?」
意味がわからない上に、お前ら?
「…お前らって?」
「いや、だからお前とお前。」
青木は先に莉玖を。その後、斜め前に座っている男子を指さした。
綺麗な顔をしたヤツだと思った。
すごく整った顔立ちをしている。色白で、どこか影があって…。
少女漫画とかに出てくる王子様キャラ男子ってきっと、こういう感じなのだろう。
「俺たちのせいらしいけど、どうする?」
王子様が話しかけてきた。口の端に笑みを浮かべながら、真っ直ぐに莉玖を見つめてくる。
「ほっとけば。」
何となく恥ずかしくなって、両手で顔を覆う。眠そうなふりをした。
「そうだな。」
王子様はふっと笑って、前に向き直った。
その時「教室戻れー」と、廊下の女子たちを掻き分けながら担任の教師が入ってきた。青木は両手を上げるジェスチャーをして、自分の席に戻った。廊下に集まっていた女子たちも、ようやくバラバラと散っていく。
莉玖は顔を覆った手の指の間から、斜め前の王子様の後ろ姿を見た。
首から肩にかけてのラインが完璧。背中も広くて、机の下に伸ばした足がとても長い。髪色は少し茶色。肌も白いので、もともと色素が薄いのかもしれない。
莉玖は王子様の後ろ姿から、目が離せなかった。
さっき目が合った時、妙にゾクゾクした。この感覚が何なのかわからない。しかしこれから始まる高校生活を思い、不思議と高揚を感じた。
入学式が終わり、教室に戻ってからの自己紹介タイムで、王子様が桐生望という名前だと知った。
後日、「のぞみ」と呼んでいいかと尋ねたら、全力で拒否されてしまった。
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