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放課後の体育館と告白
6月に入り、最近は雨の日が続いている。もうすぐ梅雨入りするとかしないとか。莉玖はこの時期があまり好きではない。ジメジメと蒸し暑く薄暗い雰囲気が、何となく寂しい気分にさせるからだ。
そして今まさに、放課後の薄暗い体育館にいる。屋根に打ちつける雨音が、静かな体育館中に響いていてうるさい。
莉玖の目の前には、顔を真っ赤にした女子生徒が立っていた。1年生だという。名前も名乗っていたが、一瞬強くなった雨音に掻き消されてよく聞こえなかった。特に差し支えないので、聞き返すこともしなかったのだが。
「坂井先輩、私と付き合ってもらえませんか。」
緊張で潤んだ目が、莉玖を見つめた。
先月、「坂井莉玖が彼女と別れたらしい」という噂は静かに、しかしステルス並みの速さで女子たちの間に広まった。莉玖の新しい彼女の座を狙う女子たちが告白のタイミングを見計らっており、この1年生もそのうちの一人なのだろう。
自慢ではないが、こういう状況には慣れている。中学の頃から莉玖はそれなりにモテていて、放課後の体育館に呼び出された時点で、これはそういうことだと察しがついていた。
「え、あぁ…。」
と少し驚いてみせるのも、莉玖のいつもの反応。しかし…。
「ごめん。今は誰とも付き合うつもりなくて。」
おそらく初めて断った。
女子生徒の顔から、血の気が引いていく。
「す、すみませんでした。」
気まずそうな顔をしながらそう言って、深く頭を下げた。
泣かせてしまったかもしれない。何だかものすごく悪いことをした気分だ。
小走りに体育館を出ていく彼女の後ろ姿を見ながら、莉玖はため息をついた。
「私のこと、本当に好きですか?」という元カノの言葉が蘇る。
今まで告白されれば、大概はOKしてきた。好きかどうかなんて関係なかった。求められたから、それに答えただけ。それの何が悪かったのだろう。
…好きって、何だ?
これを考え始めると、頭の中がモヤモヤしてくる。
その時、ガタンという音がした。振り向くと体育用具室の扉が開いていて、髪の長い女子が顔を出している。
高澤杏奈だ。
「終わった?」
杏奈は周りに誰もいないことを確認すると、用具室から出て鍵を閉めた。
「趣味悪いな。見てたのかよ。」
杏奈は気まずそうに笑いながら、莉玖の方に歩いてくる。
「言っとくけど、私の方が先だからね。用具室の記録ノート取りに来たら告白タイム始まっちゃって、出るに出られなかったの。」
手に持ったノートを、ひらひらと振って見せる。
「それは悪かったな。」
「別にいいけど。」
近くに来ると、杏奈は莉玖の顔を覗き込んだ。
「珍しいね。告白断るなんて。いつもみたいに、とりあえず付き合ってみるとかでもよかったじゃん。」
杏奈とはもう二年近い仲になるため、莉玖の恋愛事情は全て知られてしまっている。
「いや、それってなんか…違うのかなって思ってさ。」
杏奈は一歩下がって、目を丸くした。
「どういう心境の変化?」
杏奈の言葉には遠慮がない。いつも突かれたくないところをしっかり間違いなく突いてくる。たまにダメージを食らうこともあるが、そういう杏奈の性格だから、今まで友達として付き合って来られたのだと思う。
「なぁ、好きになるってどういう感じ?」
杏奈は莉玖をじっと見つめた。
「そうだなぁ…。」
そう言って、今度は斜め上を見る。
「目が合っただけでドキドキしたり、ずっと一緒にいたいと思ったり?」
うーん、と考え込む。
「その人のことを考えるだけで幸せな気分になったり、胸がきゅーっと苦しくなったりもするかな。」
杏奈は、胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
「きゅー?」
「そ。」
莉玖も真似して、自分の胸の前で手を握りしめてみた。
いくら思い出しても、今まで付き合った彼女に対してそんな感情を持ったことがないような気がする。
「でもお前、今まで彼氏いたことあったっけ?そんな気持ちになったことあんの?好きなヤツとかいるなら応援するけど。」
「そりゃまぁね、いろいろと。」
杏奈は、恥ずかしそうに笑った。
「そのうち…ね。」
もう行かなきゃ、と杏奈が手を振る。
「坂井くん、これから部活でしょ。後で行ってもいい?」
「あぁ、じゃあまた後で。」
杏奈は廊下の方へ走って行き、莉玖はゆっくり体育館の裏口に向かった。
胸が苦しくなる…。
以前、そんな経験をしたことがある。
しかしそれは、好き、ということなのだろうか。
外に出ると、雨はどしゃ降りになっていた。傘は持っていない。弓道場までは走ればすぐの距離。
莉玖は頭の上にカバンを乗せて、雨の中へと駆け出した。
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