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Ⅲ
その音に気がついたのは、パソコンと格闘し始めてから一時間ほど経った頃だった。そろそろお腹がすいたから、ちょっと遠いけどコンビニに行って、パンでも買ってこようかと思った手前、それは聞こえた。
カンカンカンカン。
ヒールで、このアパートの階段を上り下りするときの音だ。普段の靴で歩くときよりも、一際大きく棘のある音になる。
けれど、おかしい。この三階建てのアパートは、一階は四十代の男性の独り暮らし、二階は空き家で、ヒールを履く人なんてどこにもいない。
そのとき、はっとする。
そうだ、お客だ。俺へのお客。ゴミ捨て場からの。
ガタン、と扉が開く。そういえば、昴を撃退したときに、鍵を閉めていなかった。
恐る恐る、玄関の方を見る。
赤く光る目と鼻。髪は真っ黒で、腰にかかるくらいの長さ。人工的な感じを微塵も出さない動き。黙々と、言葉を発することなくこちらに近づいてくる。
思うのは、なんで俺なんだ? ということだ。周囲の人間に、誰彼構わず襲いかかると書いてあったじゃないか。なんで、標的にされるのがいつも俺なんだ?
リビングの入り口まで来て、彼女の足が止まる。その赤い目が、俺に向けられた。しっかりと、狙いを定めた、というように。
そして次の瞬間、その目がくわっと見開かれ、こちらに突進してきた。今度は、きちんと身構えていたので、遅れをとらずに受ける。
けれど機械の方が、ここしばらく運動もろくにしていない俺より身体能力が高い。なにより、彼女は疲れない。どうしたって、俺の方が不利になる。
彼女の一撃を受け、俺は床に足を着く。好機とばかりに向かってくる彼女に、俺は問いかけた。
「なんで……?」
なんで、俺、こんなことしてるんだ?
親元を離れて田舎に来たのに、なにをやってるのか。仕事は見つからず、ろくな人間関係も築けずに。
なんでロボットに襲われてるんだ? そもそも俺は、一人になってなにがしたかったんだ?
『ーー』
「え?」
声が聞こえた気がして、思わずR,Sを見る。来ると思った一撃は、俺の体に入ることなく、宙で止まった。
『ヒトリニ、シナイデヨ』
彼女は確かにそう言って、その場に倒れた。目の光が消えている。自動的なシャットダウンだった。
俺は、彼女を見下ろす。ひどい頭痛がした。いますぐにでも休みたいのに、どうしてか、思考が止まらない。
「俺は……、君に、会ったことがある?」
どうしても、目の前の彼女を、ただのアンドロイドだとは思えない。なにかが、彼女の中に内包されている気がした。あと少しでわかりそうなのに、わからない。痒いところに手が届かないような感覚。
そのとき、電気をつけていない部屋の中で唯一光を放っているパソコンに目が向かった。たまたま、R,Sについての注意書がうつっている。
「尚、この商品には、人間の体の一部を使用している」
パン、と記憶がはぜた。そうか。彼女は人間だったんだ。ああそうか、そういうことかーー。
俺が昨日、彼女を見つけたこと。
彼女が俺だけを攻撃すること。
昴が、毎日のように俺のところへやってきては、一緒に住まないか、友達にならないかと言ってくること。
そして今、俺がこんなにも彼女に惹かれること。
そのすべての理由が、今やっと、わかった気がした。
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