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 あのアンドロイドは、理穂ちゃんだ。壊れてしまってはいるけれど、あれは理穂ちゃんで、理穂ちゃんの心を持っている。  けれど、それでも納得がいかないのは、なぜ俺を標的にしてくるのかということ。別に、昴でもいいのに。同じ町に住んでいるのに、なぜ昴ではなく俺なのか。  俺は、ソファの上に横たわるR,S、理穂ちゃんを眺める。確かに、その容姿は、彼女の面影を連想させた。  理穂ちゃんが父親に愛されていないのは知っていた。そして、理穂ちゃんに母親がいないことも。  音もなく横たわっていた理穂ちゃんが、ふいに目を開ける。俺は彼女を覗き込みながら声をかけた。 「おはよう、理穂ちゃん」  彼女は無反応だった。ただ、いきなり攻撃してくることはなく、こちらを見つめている。  が、ふいに立ち上がったかと思うと、またすぐに振りかぶる体勢になった。光の点った赤い目が、俺に向けられる。そこには、さっきと同じで鋭い力がこもっていた。  俺は、ああ、と目を閉じる。やはり、もう駄目なんだろうか? 目の前にいるアンドロイドは、もはや理穂ちゃんではなくて、俺の声は届かないのか?  いや、そんなことはない。うっすらとではあるが、彼女だって俺のことを認識しているだろう。全くわかっていないことはないはずだ。  拳を振り下ろしてくる理穂ちゃんに、俺は急いで言う。 「理穂ちゃん、ねえ、理穂ちゃんなんでしょう?!」  もはや叫びに近かった。やっぱり、声は掠れている。そう思ったら、情けなくなった。  俺は、友達のために叫ぶことすらできないのか。そんなに薄情な人間だったのか。  そう思ったら、今度は腹の底から声が出た。こんな風に本気を出すのは、とても久しぶりな気がする。 「理穂ちゃん! 覚えているでしょう! 俺だよ! 宗太だよ!」  そう、この声だ。これくらいのボリュームが欲しかった。改造されてしまった理穂ちゃんにも届くくらいの大声。  彼女の動きは止まらない。そのまま、振りかぶった手が落ちてきて、俺の腹に突き刺さった。 「っつ!」  大真面目に彼女の打撃を食らうのは初めてだ。相当痛い。十七歳かそこらの女性の力ではなかった。 「理穂ちゃん」  俺は呼びかける。わずかに、その赤い瞳が揺れた気がした。 「理穂ちゃんが俺を許せないのは、わかるよ。止めて欲しかったんでしょ、あのとき。本気で、大阪にいくなって言って欲しかったんでしょ。ごめんね。俺、本気が出せなかったんだ、昔から」  ああそうだ、世界のすべてに、どうしても本気になれなくて、そんな自分が嫌いだったから、東京を出たんだ。 『ソウタ』  俺は、はっと理穂ちゃんを見る。  目の前にいるのは、確かに理穂ちゃんだった。R,Sではなくて、杉村理穂ちゃん。彼女が、泣いたような笑ったような顔をして、俺を見ている。 『ワタシ、ソウタニアイタカッタ。ズット』 「そっか、嬉しいよ」  そう言った俺に、理穂ちゃんがまた言葉を重ねる。 『ソウタニ、イイタイノ。ソロソロ、ワタシ、ジュウデンガ、キレルカラ。ソノマエニ、イイタイノ』 「うん。なに?」 『……ソウタ、ヒトリデイタラ、ダメダヨ。ダレカトイッショニイテ。ソウタハ、トテモサビシソウ』  はっとした。そういえば、時々襲ってきた、喪失感と無力感の間のような感情。あれは、そうか、寂しさだったのか。ようやく、気がついた。 「そっか、そっか……。わかったよ。信頼できる人と、一緒になる」  俺は頷く。けれど、理穂ちゃんの反応は、もうなかった。俺は悟る。  そろそろタイムリミットだ。充電切れ。きっと、切れたが最後、アンドロイドとしての機能はなくなるだろう。もう動かない。  窓から差し込んできた光に照らされて、理穂ちゃんの赤い目が輝く。それはゆっくりと、眩しさを失っていった。まるで、波が引いていくように。  瞼が閉じるその一瞬、理穂ちゃんが少しだけ微笑んだ、ように見えた。  窓を開けると、虹ができていた。空に描くコントラストが、とても綺麗だった。
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