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 僕は退屈な男だ。  29歳、独身。東京の町田市のワンルームマンションで一人暮らし。  23区内じゃないところが僕らしいと思っている。町田市は位置的にはほとんど神奈川だけど、交通の便はいいから通勤には困っていない。ちなみに車は持っていない。運転免許すらない。駐車場を借りてまでメンテナンスが必要な車を置いておくメリットを感じないからだ。  大学卒業後は大手玩具メーカーの子会社に就職。僕の担当部署ではカプセルトイの中身の企画、発注などを専門に行っている。  カプセルトイとはいわゆるガチャ(これはタカラトミーアーツの登録商標だからそのまま言ってはいけないのかもしれないけど)で、百円から五百円までで買えるくじ的な要素のある玩具だ。全6種類くらいの中のどれが当たるか分からないというスリルや、全種類集めてコンプリートする欲をそそられるためか、幼児から高齢者までの幅広い層にいまだに人気が高い。  毎月数十種類の新作を考えなくてはならないから結構忙しい。この春から課長に昇進してしまったので残業も増えた。  彼女は──いない。   「霧島課長、お疲れ様です」  コトリとマグカップが僕のデスクに置かれた。僕の好きなブラックコーヒーがカップの半分くらいの高さで琥珀の水面を揺らしている。  見上げると、新入社員の佐々木さんがマスクの上の目元をニッコリとさせていた。そこだけで美人と思わせるような気合の入ったアイメイクをしている。フワフワしたセミロングの髪、可愛らしいピンクのプリーツスカート。近くに来るとほんのりと甘い香りがした。 「ありがとう」  もうこの職場には慣れたのだろうか。僕が飲みたいと思う時間に彼女はいつもコーヒーを持ってきてくれる。若いけど、実に気の利いた女性だと思う。 「だけど、お茶汲みなんて気を使わなくていいからね。うちはコンプライアンス徹底してるから、風通しのいい会社でいるためにも飲み物は自分で用意するんだ」  すると彼女はやや気を悪くしたようだった。 「いいじゃないですかあ、これくらい。課長って本当にお堅いですよねー」  しまった。  部下の機嫌を損ねてしまった。  ……もしかして、これって何らかのハラスメントにあたるのか?  僕の頭に嫌な記憶が蘇る。  それは今から約一年前のことだった。    
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