1/10
92人が本棚に入れています
本棚に追加
/109ページ

「霧島課長に彼女ができたみたいよ。佐々木さん、知ってた?」  佐々木芽衣が同じ課の先輩からその不愉快な噂話を聞いたのは、社内の女子トイレの鏡の前だった。前髪を直そうとしていたマニキュアの指が止まる。   「何それ、知らないんですけど」 「マジで? 知ってるかと思った。結構噂になってるよ」  どうでもいいマウント取らずに、さっさとその噂とやらを聞かせなさいよ。  心の中で芽衣はそう思いながら、「へーそうなんですかあ」とバカっぽい笑顔を作った。    芽衣にはもうすぐ別れたいと思っている彼氏がいる。  大学の頃に知り合った同学年の人だ。頭がいいと思っていたのに、彼は就職に失敗し、気がつけば芽衣の方が先に社会人になっていた。  フリーターと社会人という格差は、デートの度に避けては通れない溝を生んだ。もう少し贅沢がしたい時でも、彼の懐事情に合わせてグレードを下げなければならない。  充実したデートのためにも就職活動を必死に頑張ってほしいのに、彼は芽衣に贅沢をさせるため、バイトに全力で取り組んでいた。頑張る方向が違うと言っても、今のバイト仲間が気に入っているし、居心地がいいからと言って辞めようとしない。  いつになったら正社員になれるか分からないフリーター男と、目の前にいる魅力的な上司。天秤にかけて、どちらに傾くかは一目瞭然だった。  上司は少し天然ボケなところがあるけれど、イケメンで優しくて人望があり、仕事のできる人だ。もちろん、今の彼より経済力がある。数週間前の飲み会では、彼女はいないしまだ結婚する気もないという話を聞いた。超優良物件だ。  何としてもお近づきになって、今の彼氏と乗り換えたい。  そう思っていた矢先のことだった。 「霧島課長の彼女って、どんな人なんですかあ?」 「それが、すっっっごい美人だって噂よ。女優の石原さとみに似てたって」 「ええ〜。嘘っぽい。それ、本当ですかあ?」 「町田駅の構内で二人で手を繋いで歩いていたのを見た人がいるの。なんか、すごいいい雰囲気だったんだってさ」
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!