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或る処に甚兵衛という盗人がいた。
甚兵衛はかつて武士だったが、故あって落ちぶれ、偸盗を生業として余生を繋いでいた。
偸盗といっても問屋の蔵に押し入って大金を盗み出すとか、そんな大層なことをするわけではない。民家の勝手口から忍び入ってその日の食や小銭を掴んでくるとか、酒家で酔客の財布を掠め取るとか、彼の盗みはそういう類のことだった。
とはいえ町で盗人として顔を覚えられるたび、甚兵衛は場所を替えねばならなかった。
この時も引越しのために、殆ど手ぶらで街道筋の峠道を歩いていて、盗賊に出くわした。
甚兵衛はかつて武士だったにも関わらず、武器の類を持たない。取るものもないだろうに、金はなくとも暇だけは持て余している盗賊たちは、刃物を振りあげて彼を追い回した。
腕を切り落とされそうになったが辛うじて避けた。必死で逃げるうち、追うことに飽きた盗賊たちを撒いた。
切りつけられた腕から血を流しながら、甚兵衛は峠を越えた。
山道が下りにさしかかった辺りで、道の端に男女が倒れているのを見た。二人とも斬られている。着物が乱され、荷物が失せているので、盗賊の仕業だとひと目で知れた。
彼はその時声を聞いた。赤子の泣き声である。
声を追って茂みの陰を覗くと、布にくるまれた嬰児が転がっていた。
母親はそこで死んでいる女だろうか。女は盗賊に気付かれる前に、茂みに赤子を隠したのだろう。
甚兵衛は赤子に近寄ると、血まみれの腕でそれを抱き上げた。そして、再び山を下り始めた。
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