6人が本棚に入れています
本棚に追加
「あの、クレバヤシさん?失礼ですが私たち、面識ありましたっけ?ご用件はなんでしょう?」
「はい、当社では個人向けのウォーターサーバーのご案内をしておりまして」
「すいません。そういうお話でしたらご遠慮ください。勤務中ですので失礼します」
わざとぞんざいに言って、ガチャンと受話器を置くと、向かいで松本さんが申し訳なさそうに眉をひそめる。
「ごめんなさい、セールスだったんですね。私がお繋ぎしなければ先生にお手間とらせなかったのに」
「気にしないでください。向こうが『佐藤さんいますか?』って言ってきたんだから繋いで当たり前です。ときどきあるんですよ、飛び込みのセールス電話をあてずっぽうでよくある名前の人にかけてくるっていうやつ。私も初めてじゃないですし、もう佐藤の宿命だと思ってます」
「まあ」
おどけて肩をすくめた私に松本さんが笑う。
聞き上手な彼女に甘えて私はそのまま軽口を叩く。
「しかし名指しもアレですけど、いきなり『体調はいかがですか?』って聞いてくるとかセールス下手すぎ。びっくりして大声だしちゃいましたよ」
時刻は15時50分。あと10分すれば松本さんの退勤時刻だ。
学校終わりの子どもたちのレッスンがある私はいよいよ本番だけど、保育園児のお子さんがいる松本さんはカルチャー教室の事務員からお母さんに戻るために慌ただしく帰っていく。
ふと、松本さんは結婚する前はなんていう苗字だったんだろうと思う。
思い付きの奥にちらつくのは、先日、高校時代の友人から届いた結婚式の招待状だ。
それは銀のレースが箔押しされたうすい水色のペーパーで、新婦である友人らしい優しいデザイン。当然ながら、そこには彼女の苗字と名前が書かれている。
最初のコメントを投稿しよう!