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腰を浮かせた書生の耳元に甘い吐息が触れ、白い手が肩越しに差し出された。
象牙の肌の内側から、芽吹くような輝きの滲む美神の手。
その掌の上を見遣り、書生は再び息を呑む。
切望していた物が、そこに在った。
長方形の小さな箱だ。
一見、キャラメルの箱を彷彿とさせる無邪気な代物だが、表面を覆う白と黒の市松模様、それに騙し絵にも似た精緻な装飾が、この細工箱の価値を暗示する。
――ああ、これだ。この小箱だ――
総身の骨も砕けるばかりの安堵を覚えつつ、書生は主が肌身離さず旅先へ持参する小箱へ手を延ばす。
しかし書生の指が小箱に触れるや否や、掌は眠る蓮のように閉じられた。
わずかな衣擦れの音とともに再び空気が動き、書生の後ろに白い影が佇む。
撥ねるように立ち上がり、初めて振り向いた書生の口から、憧憬に満ちた呻きが洩れた。
「奥様」
純白の長衣に身を包む妙齢の佳人が、瞬きもせずに書生を流し見ている。
長い黒髪は月下の潺のよう、薄暗がりに浮かぶその潤んだ瞳は星々を映す夜空そのものだ。
この幼気さと艶やかさを併せ持つ美女こそ、主が溺愛して已まない若妻に他ならない。
同時に、少なくとも主よりも年の近い書生には、奥方は典雅な女主人であり、優しい姉であり、さらに決して言葉にできぬ忍ぶ恋の相手でもある。
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