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父娘ほども齢の離れた夫の小箱を手にしたまま、奥方が曖昧な微笑でうなずいた。
そしてしっとりと身を返し、立ち尽くすばかりの書生に背中を向ける。
書生も月下の白百合に引き寄せられる花虻のように、廊下を行く奥方の後を追う。
出立に備えて主が早寝した屋敷の中は、しんと静まり返っている。
前を行く高嶺の花の後ろ姿を見つめながら、書生は不審に思う。
――奥様が持つ細工箱は、確かに一度は主の鞄に詰めたものだ。何故に奥様がそれを持っているのか。奥様が主の荷物から抜き盗ったとしか考えられないが、そもそも箱の中身は――
ほどなく書生が通されたのは、贅を尽くした洋風の応接間だ。
主の賓客を持て成す部屋の真ん中で、書生は紫檀の重厚な卓子に奥方と向き合って座る。
視線も鼓動も踊り狂って定まらない書生の目の前に、奥方がことりと件の小箱を置いた。
夜半の湖水を思わせるまなこで、奥方が書生を見つめる。
その真意を量りかね、書生もまじまじと奥方を注視した。
「奥様」
しかし奥方はこくりとうなずいただけだ。
恐らく、この小箱を主の鞄へ戻して来い、というのだろう。
そう解釈した書生は、主人の小箱を手に取った。
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