箱 ――花盗人――

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 狐に摘ままれた思いを抱え、ただ小箱を手の中に弄するばかりの書生を見つめ、奥方が初めて玉の唇を開いた。  鋳鉄の風鈴を思わせる、高く澄んだ硬質な声音が、書生の胸の奥底に鳴り響く。 「先ほど貴男に渡した箱は、わたくしが特別に(こしらえ)えさせた模造品です。見た目そっくりに象牙と黒檀を貼り合わせた、唯の木切れ。貴方が持っているものが、本物の細工箱」  書生が持つ主の小箱は、実は名匠の手になる細工箱だ。  幾つもの部品を複雑に組み合わせてあり、定められたとおりに部品を動かすことで、蓋が開く。  もちろん書生は開き方など知らない。  況してや中身など想像さえ及ばない。  だが書生は奥方を正視した。  箱の中身、それに主人の小箱を贋物と摩り替えた奥方の意図への抑え切れない探究心が、書生の口を衝き動かす。 「何故、ですか? 奥様。それに、この箱には何が」 「鍵」  一句のみ答え、奥方が曖昧に笑む。  書生の上気した視野の中で、奥方がしっとりと言葉を(つな)ぐ。 「鍵が入っています。あのひとがとても大切にしている宝物の鍵」
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