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書生は青ざめた。
――箱がない。主の秘蔵の細工箱が――
狼狽も露わなまま、書生は完璧にまとめ上げた主の荷を解きにかかる。
大学教授を務める主は、明日から十日間、講演の旅へ出立する。
見目好く如才なき明晰な書生と重宝されて、はや三年。
ここまで築いた信頼に翳が差そうなど、些かたりとも矜持が許さない。
一度は詰めた筈の小さな箱を求め、書生は主の旅行鞄を隅々まで浚い尽くす。
箱の中身を書生は知らない。
行旅の折には肌身離さず持ち歩く物なのだから、余程の秘宝と偲ばれる。
だが善い僕は、主の私事など詮索しないものだ。
書生は思考の手綱を解き放ち、ただ無心に小箱を探す。
しかし捜せど捜せど細工箱は見つからず、時だけが刻々と過ぎり去る。
焦りが絶望に代わりかけ、書生は主の乱れた荷物の前で、途方に暮れる。
――主の叱責と失望、いやそれよりも強い自負が、粗相を赦さない――
重く湿って濁った吐息が夜半の玄関に澱んだ刹那、書生の背後に陽炎が揺らめいた。
振り返るより早く、書生の鼻孔を撫でたのは、淡く甘い匂い。
大輪の洋芍が開いたかのような香気に中てられ、書生の官能が激しくざわめく。
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