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 この事実を知ってから初めて彼女を見たのは、数日後、病棟の廊下でのことである。  比喩ではなく、本当に、子どもが歩いているのだと思った。虚ろな表情で、伏し目がちに、小さな彼女はゆっくりとこちらに向かって歩いてきて、すれ違う直前にようやく倉科ははっと気づくことができた。  もちろん、声をかけることはしなかった。視線を向けてみたが、うまく目を合わせることもできなかった。  すれ違った後も、しばらく彼女の背中を見つめた。  最初は別人のように思えたのに、あの小さな肩を、自分は確かに覚えている。あれだけ憧れた人なのだ、忘れるわけもない。明るくていつも颯爽としていたあの先輩が、他方では、それを表に出すこともせず、一人で悩み苦しんでいたのか。  椋木だけは、それを分かっていた。病気のことは知らなかったかもしれないが、「そばにいたい」と言った。  倉科にはどうしても結びつけることができず、何度も高校時代を追想した。  何より、彼女の芝居を舞台袖から見た、あの卒業公演の日のことを。  その女優は言った。 『どうにでもお考えください。私は男を信用しません。私は何の後ろ立てもない受領(ずりょう)の娘。現実が見えたら、それがどうなるんです!』  劇中、何度も熱烈に言い寄る則光に対して少納言が言い放つこのセリフが、深く印象に残っていた。あれだけ華奢な身体の一体どこからと疑いたくなるほど、松宮の発声は、強く瑞々しく走った。 『思い出すわ、初めて出仕したときのこと。美しい宮様。まわりには華やかな女房たちが、わが世の春を楽しんでいる』  オリエンテーションのとき、初めて聞いた松宮の台詞である。本番の舞台では、また少し違った声色に感じた。  この話に、少納言が敬愛するお后、中宮定子(ちゅうぐうていし)は出てこない。  その意味を、二年以下の部員だけで、議論したことがあった。少納言は見たいものだけを見て、見えているものだけを信じて、過去はいつだって永遠になる。だから彼女はきっと、最後まで幸せだったのではないか。 「だったら、どうして定子が出ないのよ」  桑野は納得がいかない様子だった。  倉科にしても、同じ意見だ。定子との時間は少納言にとって、他の何よりも「花の時」だったはずなのに。 「ちゃんとした理由がないじゃない」 「単に、尺の都合じゃないスか」  憤る桑野に対して、そう答えたのは塚本だった。 「定子を出したら、まとまりつかなくなるでしょ」 「そんな理由で―― 」  すぐに桑野は言ったが、その後が続かなかった。倉科も、きっともっと別の理由があると思ったけれど、それが分からない。  結果的に部員たちは、塚本の推測に従わざるを得なかった。それ以外に、あの頃の自分たちが納得できる答えは、見つからなかったのだ。  見えているものだけを信じる(、、、、、、、、、、、、、)。  少納言のそれは、ある意味で、自分たちと同じだと思った。  一方で、当時の倉科や友人たちはサンテグジュペリもまた愛読し、見えない価値の確かな質量を、矛盾することもなく胸のうちに隠し持っていた。  考えるたび、まるで忘れていた宿題のように、意地悪な謎かけのように、倉科の心を締め付ける。  松宮のことを、誰かに相談したかった。大坪でも、山賀でも、桑野でもいい。  だがそれをして良いのかどうか、迷った。この頃は個人情報なんて意識はほとんどなかったのに、それでも躊躇(ためら)ったのは、誰を選んでも、必ずその相手の心に大きな波紋を生むと思ったからだ。  無意識のうち、相談相手の候補から椋木を除外していたのは、その波紋が最も大きいと分かっていたからだろう。  そしてもう一つ、きっとどんな話し方をしても、その言葉はスキャンダラスな意味合いを帯び、不実さに自己嫌悪すると思った。  結局、このことは誰にも話せなかった。  それからも職場で松宮の姿を見かけることは何度もあったけれど、一度も言葉を交わすことはなく、彼女の退院よりも先に退職した。松宮はきっと最後まで、こちらの存在には気づかなかったと思う。  カルテなんて、見なければ良かった。  倉科は、何度もそう思った。見なくても彼女の病状が変わるわけではないし、結果的に、自分はその状況をイヤでも知ることになるだろう。  それでも、「あの頃からずっと」という事実は、知らずに済んだかもしれない。  一緒に過ごした時間を、そこで見た松宮の姿を、言葉を、ひとつひとつ思い出しては確認する自分が、どうしようもなくイヤだった。  あれからもう二十年ほど経つが、彼女は今、どうしているだろうか。  病状が回復して、社会復帰できていれば、それ以上何も望むことはない。  だが閉鎖病棟に入った患者の回復はそう簡単ではないし、仮に回復していたとしても、そこを出られずにいる可能性はある。精神病患者の隔離収容政策はとうの昔に転換されたはずなのに、病院経営と社会の偏見という二つの壁に阻まれて、積極的に退院への一歩が進められない患者も多いと聞く。  ―― 違う。  そんなことじゃない。あの頃からずっと心に秘めてきた思いは、自分だけの、それは身勝手な、ただひとつだけだ。  椋木は「先輩はずっと一人ぼっち」と言った。  桑野なら埋められると。でもそれは叶わなかった。  東京で所属した劇団ではどうだったか。  誰か一人でも、松宮の心に寄り添えたのだろうか。そもそも彼女が寄り添ってもらうことなど、望んでいたのかもわからない。松宮沙都はずっとずっと、ただ一人の役者でありたいと願い続けてきたのだから。  倉科はあの頃から、幾度か同じ夢を見た。  松宮の言葉が暗示となったのか、夢の中で倉科は、里の娘「はる」を演じていた。  はるが老いた少納言に対して、彼女の心を掬い上げる場面がある。  若き日の少納言は、本当は則光の誘いを受けるつもりだったのに、則光の一番嫌いな和歌を用いて伝えた。それが誤解を招いて、最後の別れになってしまった。  はるは言う。 『私は羨ましい。だっておばさんは、おばさんの一番得意な書き方で、一番得意な生活を書き残したんでしょ? 言うことないわ』  それは物書きとしての少納言の生き方を、潔さを、肯定してみせた一言だ。  夢の中の自分は、ここだけは何としてもしっかりと演じたいと思って意気込んだ。そのとき舞台には若き日の少納言も幻として立っていて、娘の言葉に深く頭を下げるのだが、娘は背を向けたままそれを見ない。  幻なのだから、見てしまったらおかしい。  だが、脚本に逆らってでも、振り返れば良かった。  病棟ですれ違ったときだって、その後何度会っていたって、何も言えなかった。婦長に止められていなかったとしても、それは同じだっただろう。  今なら、分かる。  私の言葉が、私の声で、先輩に届いてほしい。そして先輩の声で、たった一言でもいいから、返事をしてほしかったんだ。
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