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さて、夏合宿本番である。
その頃、一年生は、三年生の舞台では裏方の仕事を学びつつ、二年生と合同で現代劇の練習に取り組んでいた。
『十二人の怒れる女』というタイトルのパロディ作で、倉科の役どころは陪審員の一人だ。
同じ一年で最も仲の良かった塚本真悠も陪審員、そして椋木茜も陪審員である。要するに出演者全員、陪審員だった。
台詞が多くて最初は自信がなかったが、これはこれで、やってみるとけっこう楽しい。
『よく分からないけれど、だって有罪だと思ったんだもの』
これが倉科の最初のセリフだ。意気揚々と喋ると、「もっと惚けた感じでっ」と先輩らから檄が飛ぶ。松宮はどちらかというと指導はせずに、後輩を見て可笑しそうに笑っていることが多かった。
「そういうふざけた役は、私の方が向いてる気がするよ。代わろっか?」
塚本の言うとおりだ。彼女は人を笑わせることに命をかけている。
「ダメダメ、それぞれ意味があって割り振ってるんだから」
大坪部長が言うと、塚本は「私の生かし方を知っての狼藉か!」と食い下がったので、皆で笑ってしまった。
でも指導はけっこう厳しい。大坪部長だけでなく、男子部員のエースである三年の溝部もしょっちゅう口を出すし、あとはもちろん顧問の清水先生の叱責には堪えた。
「長台詞でもワンブレスを意識してっ。丁寧に喋ろうとしすぎて、全然伝わらないのよ!」
「はい、すみませんっ」
そう答えはするものの、丁寧に、というより、間違えないことだけで必死だ。これはオリジナル作品で、書いたのは溝部である。長台詞は溝部に文句言ってくれよと、倉科は密かに思った。
その溝部は脚本家かつ演出家気どりで、嫌味な言い方であーだこーだとクレームを入れる。
あるとき溝部に「君はスタニスラフスキーを知らないだろう」と聞かれた。意味が分からなかったので黙っていると、「脳みそをフル稼働して、リアリティというものを考え直してみるんだな」と鼻で笑いながら言われたので、大嫌いになった。
夏合宿はもちろん授業なんかなくて、芝居の練習だけに打ち込めるので、特別な時間だった。清水先生も先輩たちも、やはりいつもより熱が入っていたように見えた。
それに、ここは高原だ。
美しい芝生のグラウンドに、夏ならではの深い青天井が広がっていた。走り込みや筋トレだけじゃなく、昼間は芝居の稽古もそこでやる。とにかく環境がいい。
同じことをしていてもロケーションが変わればこんなにも爽快で、生き生きと演じることができるなんて、それまで知らなかった。そう言うと大坪部長が「お芝居自体、まだ始めたばっかでしょ」と笑ったので、それは確かにそうだと思った。
合宿の二日目の夜、バーベキューの後で、皆で花火をした。
手持ち花火に、打ち上げ花火。
みんなでキャッキャと騒ぎながら、闇の中に色とりどりの絵を描いていく。塚本は花火を拳銃のように持って「勇次っ」と叫び、舘ひろしのモノマネをした。一年の中で、彼女は完全にムードメーカーの立ち位置だ。
火薬の匂いが、鼻先をくすぐる。
どれくらいの時間、そうして遊んでいただろう。線香花火タイムになったとき、松宮が倉科を見つけて、隣に来た。
「頼ちゃん。初めての合宿、どう?」
その頃、彼女は倉科をそう呼ぶようになっていた。
「はあい、楽しいです」
「三年と一年が一緒にやる合宿は一回きりなんだよ。私は、最初から寂しかったな」
「最初からって?」
今回の合宿の最初から、という意味かと思って聞き返したが、そうではなくて、松宮が一年の頃の合宿を指しているようだった。
いつも堂々たる芝居を見せてくれる松宮らも、最初は新入部員だったんだなと思うと、不思議な気がした。
「ねえ、蘭省花時って、分かる?」
不意に、松宮は聞いた。
「ええと、何となく」
もう三年の練習風景も見ていたし、脚本も見せてもらう機会があったから、それは嘘ではなかった。
伝統演目である『廬山夜雨』は、年老いた少納言の視点で物語が展開する。華やかなりし日の宮中を蘭省花時、老後の草庵の侘しさを廬山夜雨として対比させ、過去を仮初めにも美しく描くのだ。
「頼ちゃん、前にこのお話を、地味で暗いって言ったでしょ」
「あ、いや、それは―― 」
「いいの。でもね、私たちはこのお話の中の『花の時』を、目いっぱい華やかに演じるんだよ。先輩たちが、ずっとそうして来たようにね」
そういうと、松宮は倉科の目を見て微笑んだ。彼女の持っていた線香花火が、散り菊を過ぎて火の玉になる。
そうか、受け継ぐって、そういうことなんだ。
同じことをし続ける。もちろんそう言ってしまえばそれまでだけど、その中に、かつて先輩たちが感じた思いを、眺めた景色を、そっと窺い知る手段が潜んでいて、だけどそれが実現した時には、もうその人たちはいないのだ。
渡す側も、受け取る側も、その心は穏やかではないと思う。
「私、卒業公演、楽しみです」
何て言っていいか分からなかったので、そう答えた。ついさっき松宮が言った寂しさの一端を、倉科も知った気がした。
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