時間泥棒の主は

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 昔からずーっと悩まされていることがひとつだけある。それは、急いでいる時に限ってかかってくる謎の電話。無言であることも多いが、私が切ろうとすると突然何か、意味の通らない言葉を話すのだ。そしてそれに付き合っていると毎回予定に間に合わなくなってしまう。その話をすると決まってみんなに「そんな悪戯電話に付き合わなければいいじゃん」と言われるのだが、そういう問題でもないのだ。なぜなら私が切っても、すぐかけ直してくるのだから。それもご丁寧に全然別の番号で。 「電話帳に登録してある番号以外の電話を拒否する設定にしなよ」 「だって家の固定電話にもかかってくるし……うち商売やってるから、非通知とかも拒否にできないし」 「え、家の電話まで知られてんの。それやばくない……」 「ずっと小さい時からなんだよねぇ。やばいとは思ってるけど、なんかお母さんたちに相談してもまともに取り合ってくれなくてさあ」 「えー、警察に相談してもいいレベルだと思うんだけど」 「そうなんだよね。まあいつもって訳じゃないから。うーん、もうしばらく様子見ようかな」 「そう言って何年もそのままなんでしょ。まあアカネがいいなら別に私はいいんだけどさ」  五月は自分のことのように悩んでくれる。いい友人をもったと思う。今までの友達は気味悪がって付き合ってくれなくなったのに。 「あ、気味が悪いで思い出した。一個だけ意味のある言葉を言うんだよね。電話の最後に」 「なに、パンツの色とか聞かれんの?」 「んな訳ないじゃん。なんかね、『今回も、よかったですね』って言うんだよね。なんもよくないっつーの」 「えー、全然意味わかんないじゃん。よくそんな電話付き合ってんね」 「はは……あ、やば、バスの時間じゃん!」 「ほんとだ! 今日の補習出ないと、今度の試合出られないよ!」  まあ出たとしても、試合の時間に間に合わないようにあの電話がかかってくる可能性もある。しかしそんな私の懸念に五月まで付き合わせていられない。机の上のノートを適当にカバンに突っ込んで席を立つ。空になったグラスを回収棚に置いて、二人で喫茶店を飛び出した。バスの時間まで後2分。バス停は店のすぐ近くにあるものだから、すっかり油断していた。走っていると、ポケットに入れた端末が震えているのを感じた。まさかまたあの電話か。悪いけど今日は付き合っている暇はないのだ。断腸の思いで無視を決め込む。ようやくバス停だ。 「やー、間に合ったね」  笑顔で言う五月に、私も笑みを返した。と、その時。 「すみません、ちょっといいですか」  そう声をかけられて振り返ると、自分の祖父くらいの年齢の老女が立っていた。 「どうされました?」 「ちょっとよろしいですか」 「ええ、で、どうされました?」 「アカネ、ちょっと。やめときなって。ごめんね、おばあちゃん。もうバス来ちゃったから」 「え、でも……」 「すみませんね、ちょっとだけなの」 「あーもう、とりあえず私は行くからね!」 「あっ! あー……まあいっかぁ……。で、どうされました?」  自分を置いていってしまった親友に薄情だなあと思いつつも、彼女が試合に出るためにどれだけの努力をしていたか知っているからこそ仕方ないかと自分を納得させる。まあそれだけ試合に出たいなら、テストの方も頑張るべきだったのだが。バスを見送って、老女に向き直る。と、老女は三日月のように口の両端を上げた。 「いえ、用事は済みました」 「……はぁ」  意味が全く分からない。当惑を隠さずに立っていると、背後からキキーッという大きなブレーキ音がした。嫌な予感がする。音がした方を振り返ると、先ほど見送ったバスが中央分離帯に衝突する瞬間が視界に飛び込んできた。この世のものとは思えない大きな音がした後、間を置かずに火が上がる。あの中には、親友がいるのに。杭で打ち付けられたように動くことができない。呆然と立ち尽くす私の耳に「今回も、よかったですね」と老女の声が聞こえた。首だけなんとか動かすと、老女の姿は忽然と消え失せていた。  そうか、そうだったのか。私が乗りたかったスキーツアーのバスは崖下に落ちた。行きたかった花火大会では屋台のガスボンベが爆発した。いずれも死傷者がたくさん出た事故。そして私が、いたずら電話のせいで行けなかった場所。いたずら電話の、時間泥棒の主は。  バス停前に立ち尽くしていた私を抱きしめ泣いている母の実家で見た遺影の中の祖母に、先ほど私を呼び止めた老女の姿はよく似ていた、ような気がした。
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