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キヨの願い
・・・・静かになった。
「・・・何だ・・これ・・」
カネがいた所には、無数のお地蔵様の山が出来ていた。
こけしの様な体に少し大きめの赤い前掛けをしたお地蔵様。あの崖の所にあったお地蔵様だ。
俺は、空を覆いつくさんばかりに高く積み上げられたお地蔵様を前に言葉もなく只々その山を見ていた。
「あほけ」
「え?」
山積みになったお地蔵様の影から、キヨ婆がゆっくりと出てきた。
「あ・・・・キヨ婆・・」
キヨ婆はぼさぼさの長い前髪の隙間からギラギラとした目を向け、ゆっくりと近づいてくる。
「そんな阿保みたいな顔、初めて見たけ」
「阿保・・」
「大人しゅうしとけと言ったのに、余計な事したけ」
そう言ってギラギラと怒りのこもった鋭い目を俺に向ける。
「・・・・・・」
余計な事・・余計な事だったのだろうか。俺がこんな事しなければ、優菜が山内をかばって刺されるなんて事なかった。俺はキヨ婆から視線を外し考え込んだ。
「・・でも、良くやったけ」
「え?」
顔を上げキヨ婆の方を見る。キヨ婆は、先程とは別人のように柔和な優しい顔をして俺を見下ろしている。
「ワシは捨て子として幼い頃から酷い仕打ちをされてきた。拾ってくれた家のもんに女中のように扱われ飯もろくに食わしてくれん。毎日毎日・・わしを捨てた親をどれだけ怨んだか。十二の時、ワシは逃げた。もう耐えられんかった。でも、逃げた事で酷い扱いをしてくる奴はいなくなったが食っていくことが出来ん。そんな時あの男に会った。男はとても優しかった。初めて人の優しさに触れたワシは衝撃を受けた。こんな風に人は笑い優しく微笑むのかと・・数年後、男と所帯を持ったワシは女の子を生んだ」
そこまで話すと何故かキヨ婆は辛そうな表情になり黙り込んだ。
俺はキヨ婆が話し出すまで辛抱強く待つ。
「・・・ある日、五歳になった子供が遊びに行くと言って一人で外に出た。夫は仕事に行き、ワシは家事をしていた。いつも家の前でしか遊ばないからと油断していたのがいけなかった。暫くしてもなかなか帰ってこない。おかしいと様子を見に外に出て子供を探すが何処にもいない。あの子はとても大人しく人見知りな子。だから、いつも家の近くでしか遊ばなかったはずなんだ。焦ったワシは至る所を探し回った。でも見つからんかった。夜になり仕事から帰ってきた夫と共に探したが見つからん。二日後、遠くの川岸に倒れている子供が見つかった。川に落ちて死んでしまったんだ。夫は私を責めた「お前が目を話すからだ」と。悔やんでも悔やみきれない。どうしてあの時一緒に行かんかったのか。出来る事ならまたあの時まで時間を戻してほしい。何度も何度もそう願った。暫くして、近所の人がコッソリとワシに教えてくれた「あんたの旦那が子供を抱っこして連れて行くのを見た」ってな。勿論夫に聞いたさ。でも夫は「仕事している俺がここに来るはずない」と言った。確かな証拠もない。もう夫を問い詰めるのをやめた。そんな事より、子供を亡くした悲しみで毎日が辛くて耐えられんかったからだ。その内妙な噂が立った。夫が他の女の所に行っていると。その女との子供までいると言うじゃないか。その時ワシは思った。やっぱり夫が子供を殺したんだとな」
「そんな・・・じゃあ旦那さんは、その浮気相手と一緒になりたいがために自分の子供を殺したって言うんですか?」
キヨ婆は小さく頷くと
「でも、子供を亡くしたワシは全てにおいてどうでもよくなっていた。夫の事も自分の事も。いっそ子供の後を追うかと考えていた。そんな時、新たな噂が聞こえてきた。ワシが子供を殺したんだとな」
「え・・・」
キヨ婆は驚く俺に対し、薄く口元に笑みを浮かべ
「やっぱり捨て子は幸せになれない。調べた結果、その噂は夫が流したことが分かった。それを知った時ワシは身を切る程の衝撃を受けた。この人となら幸せになれると思っていた。でもその人は私を捨て子だからと同情していただけだった。信じていただけに、その裏切りはワシの心をズタズタに引き裂いた。もう二度と人なんか信じるもんかと心に誓った・・噂というのは本当に怖い。嘘だとしても、言い続ける事によって本当の話として伝わるから」
「それで・・それで、片庫裡村に逃げてきた」
キヨ婆は小さく頷く。
「どうして片庫裡村に行ったのかは分からない。何となく足がそちらに向いたんだ。もしかしたら、妙が・・・母さんがワシを呼んだのかもしれんな」
そう言って、山積みになった地蔵の傍らから少しだけ見える妙の墓の方を見て言った。
「お妙さんが・・・そうかもしれませんね。これ、お妙さんの手紙です。あなたの事を想う気持ちが書かれてました」
俺はキヨ婆に、握りしめていた手紙を渡した。
「そう・・・母さんもきっと辛かったでしょうね」
不思議な事に、手紙を受け取ったキヨ婆の顔から深い皺が徐々になくなっていく。ぼさぼさの白髪頭がグレーから黒に変わりくすんだ肌が少しづつ明るくなっていく。
「キヨ婆・・キヨさん・・あんた・・」
驚き言葉が出ない俺に、キヨは優しく微笑みながら
「ようやく、ゆっくり休める」
そう言うと、キヨの身体が徐々に薄くなっていく。慌てた俺は
「キ、キ、キヨさん!あんたは!あんたは!」
「お願いがあります」
そう言ったキヨは、美しい若い女性へと変わっていた。ガラガラとした声ではなく澄んだ綺麗な声をしている。
「お願い?」
「母さんが残したこの手紙と私のへその緒と一緒に、片庫裡村にある私の娘の着物。この双子山に埋めてくれませんか?」
「双子山に・・・」
「お願いしますね」
優しく微笑みそう言い残したキヨは、煙のように消え持っていた手紙がひらひらと地面に落ちた。
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