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「ねえねえ、ほんとに付き合うことになったの?」
雑音にまみれた教室で、質問がぽとりと落とされる。
少し間をあけてうなずくと、友達のミサがうなだれたような声を上げた。
「これはアレだ。男子たちが泣くやつだね。まあ、千冬先輩と夏乃、お似合いだけど」
それでも、ちょっと悔しいと言いながら頬を膨らませている。
先日、校内の人気者である九栗先輩に告白した。
クールでミステリアスでカッコいい。多くの女子たちが、目をハートにして憧れる人。
そんな相手から、「僕も桜庭さんのこと気になってた」と言われたのだ。浮かれないわけがない。
だって、中学へ入学したときから、ずっと見つめていたのだから。
「ただいま」
家へ帰ると、いつものようにお母さんが夕食の支度をしていた。この匂いからして、今夜はカレーライス。
うちのカレーには、ハチミツとすりおろしたりんごが入っていてほどよく甘味がある。わたしの大好きな味だ。
「夏乃、なにかいいことでもあった?」
「んー? わかる?」
「わかるわよ。夏乃のことなら、なんでも」
カウンターにひじをついて、ふふふと笑ってみせる。
お母さんは優しい。少しの変化に気づいて、なんでも相談にのってくれる。
「付き合い始めた人がいるの」
「えー! もしかして、前言ってた学校の先輩?」
「えへへ、その先輩デス」
「おめでとう、夏乃。きっと素敵な人なのね」
「うん」
この元気がでる笑顔があるのは、今のお父さんがいてくれたから。
ついていたテレビから、ドラマの再放送が流れてきた。平成初期の人気作らしい。
栗山千夏。ただならぬ美貌と演技力で、一気にスターの道へ進んだ女優。結婚と同時に引退して、すっぱり芸能界から姿を消したことでも有名だ。
でも、お母さんは好きじゃないみたい。この人の声が流れると、すぐチャンネルを変えてしまう。
きっと、後ろめたい気持ちがあるのだろう。栗山千夏の大切な人を、奪ってしまったから。
血のつながりのないわたしを育ててくれたお父さんには、頭が上がらない。
「今度、お母さんに紹介してね」
「もちろん。楽しみにしてて」
でも、わたしは惹かれてしまった。
暗い過去を持ちながら、美しい容姿を持ち腐れている彼に、哀れみと愛しさを重ねて──。
この境遇に感謝すらしてる。先輩の気を引けたのだから。
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