別れ鳥の季節

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 秋の日のドライブから2カ月と少しが経った。  いつものスーパーでは盛んにクリスマスソングが流れていた。12月25日。クリスマス当日。街の雰囲気もどこか楽し気だ。クリスマスの浮かれ気分を背景に、リコは大量の食材を買い込んだ。 「ちょっと出かけてくる」  午前八時。圭司はリコにそう言うとアパートを出た。  あのドライブの日から圭司は変わった。今では普通に外の世界に出かけて行くことが出来るし、一週間前には学生時代の友達との飲み会にも顔を出した。六年間引きこもっていたことを考えると、すごい進歩である。人生というものは、然るべき時がきたら一瞬で状況が変わるものなのだな、とリコは思う。アンドロイドであり、ライフステージの変化というものを経験したこのない彼女には、圭司の劇的な状況変化は新鮮であった。 「気をつけてくださいね。今日は午後から降水確率70パーセント、雪になるかもしれないとのことです」 「ありがとう。ところでリコ、急で悪いけど今晩はご馳走を作っておいてくれないか。ケーキを買って帰るよ。今夜は君に伝えたいことがあるんだ」 「はい。承知いたしました。いってらっしゃい、圭司さん」 「いってきます」  リコには圭司の言う「伝えたいこと」の内容をすでに知っていた。  圭司は、とあるIT関連企業から内定をもらい、来年1月より社会復帰することになったのだ。今日、彼は事前の会社説明と新しいスーツの購入のために出かけていったのだった。リコには圭司の就職活動情報について、本人に知られずアクセスできる権限を持っていた。  だから今日は、お祝いなのである。  実は数日前から、いつも以上に念入りな掃除を行っていた。だから今日は最低限の掃除だけを済ますと、料理に集中した。圭司は夕方まで帰らない予定なので、昼食づくりも必要ない。できた料理は密かに買い置いていた保存容器につめては、冷凍・冷蔵保存をしていった。冷蔵庫が保存容器で占領されたころ、ようやくリコは一息ついた。料理の最後に、下拵えをしていたローストチキンをオーブンレンジにセットし、加熱を始めた。圭司が帰るころに焼きあがるはずだ。次いで、調理器具の洗い物を済ますと、まるで引っ越してきた直後のように、綺麗にキッチンを磨き上げた。  チャイムが鳴った。  リコは時間を確認した。すべて予定通りに一日が過ぎていた。彼女はチャイムに応え、玄関に出た。作業着の男が二人。彼女の会社の技術部門の同僚たちだった。二人ともアンドロイドだ。内蔵された無線でメッセージをやり取りしたのち、リコは男たちを招き入れた。男たちは室内に上がると、手早くリビングに置いてあるボットの解体を始めた。  作業を横目に、リコは圭司に向けてお別れのメッセージを書き置いた。  男たちは作業を終えボットを回収すると、リコに合図を送った。リコも合図を返す。そして彼女は男たちと共にアパートの部屋を出た。  帰宅した圭司を迎えたのはがらんとした部屋だった。肉の焼ける香ばしい匂いだけが満ちた冷たい部屋。 「リコ?」  彼は部屋の中を探しまわった。リコの気配はどこにもない。ぼんやりとリビングを見回し、そこでようやく彼女のボットが消えていることに気がついた。リビングのテーブルに置かれた一枚の封筒にも。  封筒を開く。  二枚の紙が出てきた。契約解除を告げる機械的な文面と、リコの手による短い手紙だった。  圭司の社会復帰を知った両親が、契約を解除したのだった。  圭司は何度も何度もリコからの手紙を読み返した。そこには短く感謝の言葉が述べられていた。  ドライブ、楽しかったです。圭司さんの社会復帰を心からお祝いいたします。今までありがとうございました。  圭司は文面の文字をなぞりながら、リコはこんな字を書くのか、と思った。一筋の涙が彼の頬をなぞった。  閉められていたカーテンを開けて空を眺める。天空からは白い雪がゆっくりと舞っていた。
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