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「言いたいことはいろいろあるが、バイト遅刻すんじゃないのか?」
俺を園田がひと睨みして、そそくさその場を去っていった。
「安西……、今回の、ターゲット?」
「ああ、まだ大きくは仕掛けてないがな。両親亡くして親戚ん家で苦学生やってんだと。そんな生活水準で高校に進学なんかしちまったオモチャだ」
「かわいそうにな」
「ああ、そんな弱い人生を送りたくないな」
逆海老縛りで縛らせたとき、こいつ笑ってたけどな。弱い生き物が弱いから死んだ途端に顔を真っ青にしやがった。そりゃ死体に指紋が残っていたのは不安だったかもしれないが、丸ごと沈めて大騒ぎにはしなかっただろ。
俺は旧知の仲の臆病者に手を振った。アテにしてるぜ、その臆病さ。
「こんなもんだろ」
中間試験の結果がひと通り全て返ってきた。赤点、いや平均以下は絶対嫌だが、それさえ回避できたなら最高点は他人の仕事だ。大学は、センター試験と本試験で決まるんだ。学校のテストみたいなただの茶番に、俺は振り回されたくはない。
そういえば、園田が顔を青くしていたな。部活にすら試験休みはあるもんなんだが試験期間も腹は減るよな。働かないと飯も食えない弱い生き物、そろそろ食べごろなんじゃないかな。
「中間から1か月で期末、ダルかったよな〜」
ひと月で期末だからラクだったんだろ。範囲が狭いと手間が少ない。ただし、それが大打撃な奴も居るようだがな。追試になった奴に聞いたぜ、脂汗かきながら補講受けてるってな。
俺は強い生き物だ、強い生き物は弱った獲物を見逃さない。
「いっつもいっつも、なんでこんなことするの?」
園田が毎度のごとく無様に転び、今日はひときわ両眼を尖らせこちらを睨む。
「こっちはなんにもしてないけどな。そっちが勝手に転んで因縁つけてるだけだ」
「ふざけないでくれる? 足かけてるのはそっちでしょ?」
仕掛けた罠に無防備にかかり、先手を取られた状況にも関わらず退却を選択しない弱い生き物。手のひらの上で実に無様にくるくる踊る。
「こっちに非のある話じゃないって言ってるだろ? 廣瀬、俺ら廊下の隅で駄弁ってただけだよな」
「ああ、そうだな」
まずこの状況。おまえは数で負けてるんだよ、ぼっち地味メガネ。こいつは俺の性格を知っている。協力すれば悪くはしない。
弱い生き物に容赦もしない。
「なんなのよそれ? わたしが悪いって言うの?」
悪いというか、弱い。何の脅威も感じない。
「何を言いだすかと思えば、今度は悲劇のヒロイン気取りかよ。それ、自分の責任を平然と投げるクズの定番のセリフだよな」
おうおう、顔が真っ赤だぞ。身の程をわきまえながら感情を持とうか。
「気持ちはわからなくはないけどな。生活が苦しいなか、頑張って背伸びして学区の公立随一の進学校に合格しました。だけど苦学生しながらその授業についていけるほど頭が良くはありませんでしたって、俺でもそんな辛くみじめな現実は受け止めきれないだろうからな」
園田がわなわな震えて立ち上がる。右手を掲げて振りかぶる。面白いほど、思惑どおりだ。
ボクシングにスリッピングアウェイって技術があるだろ? 相手のパンチに合わせるように顔をそらし、パンチを滑らせダメージを逃すやつ。俺はその逆をやった。振り抜かれた右の平手打ちの掌底めがけ、ダメージが表面に出やすい頬骨を思いきり叩きつけた。
「やってくれちゃったね、傷害事件。血が垂れてるのが自分でもわかるんだけど。廣瀬、見てただろ? こいつにはたかれたの」
「ああ、そうだな」
状況証拠、物的証拠、目撃証言、そのすべてがバッチリだ。
「ちょっと、職員室に行こうか、園田さん。さすがにこれは、水に流しきれないよ」
俺は恐喝と解釈する余地が残らぬように、声と言葉を徹底的に柔らかくした。
「失礼します。戸田先生はいますか?」
「安西と、園田か。って、安西、その頬はどうした?」
鏡で確認したわけではないが、どうやら傍から見てすぐに気づく程度の傷を負うことには成功したようだった。
「その件での話です。ついさっき園田さんに、廊下ではたかれました」
「園田、本当か?」
「……、はい」
あ〜あ、ビビっちゃって。さて、もう1手打つか。
「5組のまえの廊下で中学からの友人に会って挨拶していたら、園田さんにぶつかられまして。その件で軽く注意したら逆上したのか園田さんにはたかれたんです」
「先生! 違います! わたし、以前から急いでいるときに安西くんに何度も足をかけられて転かされていたんです!」
「園田。そんな報告は、いちども耳にしていないぞ」
バ〜カ、真実ってのは何が事実かよりどんな事実が誰にとって都合がいいかで決まるんだよ。
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