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2024年7月28日 価値観は変化する
価値観は変化する。
ある日突然、「向こう側」の気持ちが聞こえてくるのだ。
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子供のころ実家では、卵はコレステロールが高いから一日一つまでと制限するのが普通だった。
有名な洋食店のオムライスに三つ、四つ、卵を使うと聞いて、健康の維持とおいしさの追求は相容れないものなんだなあと妙に納得したりした。
大人になってしばらくして、一日卵一個まで信仰が終焉する。
運動中の水分摂取の是非も変わったように、絶対だと思われていたことが何かのきっかけで一変することを、これまでの人生の中で何度も経験してきている。
価値観や意識の変化は、東日本大震災のように、あるエポックメーキングをきっかけにして社会全体に劇的に起こることがある。
2020年、パンデミックは、世界中に多大な影響を与えた。
店頭からマスクが消えた時、需要と供給のバランスが大きく崩れた。
誰もが欲しいものは値段が上がる。マスク一箱10万円の値段がついても購入する者がいる一方で、わたしはマスクを手縫いで手作りした。家族や友人分のマスクも作った。手に入らないのなら、マスクになるような材料と針と糸さえあればいい、という単純なことだった。
マスク不足が落ち着いた今でも、わたしはマスクは購入していない。
チェンマイの旧都の外れにはワロロット市場があり、チェンマイに滞在するときは必ず訪れる。
その市場はハーブ類、衣料、布素材、木製品、細々とした土産物であふれていて、わたしのお目当ては、インドネシアのバティックに似たタイの総柄の布である。
パンデミックの前のことである。わたしが大量に購入した布を、店番のおばあちゃんは短い荷造り紐を結んでつないで長くした紐で束ねた。
わたしは軽く衝撃を受けた。いくらもしない紐を使い捨てにしないで再利用するのは、タイ人の生活の貧しさを表しているように思えたのだ。物資の乏しかった戦後直後の日本のようだと思った。
姉のお下がりを着させられたことを、母はずっと文句を言っていた。
壊れたりしたものは修理にだすぐらいなら、新しいものを購入した方が安いし早いしきれいだし。という新品信仰、1回限りの使い捨てが許容される価値観の中に、わたしはどっぷりと浸かっていたのである。
パンデミックでは、欲しいものがすぐ手に入る生活が実はあたりまえじゃないことを知った。
物でも人でも、お金をだせば何でも手に入るという豊かさは、幻想かもしれなかった。
では何に、わたしは豊かさを見いだしたらいいのか。
新たな人生への向き合い方を、わたしは突き付けられたのである。
その後、壊れた器を捨てる代わりに修理して再び使えるようにする金継ぎを習いはじめた。
韓国には端切れをつなぎ合わせて布にするポシャギがあった。
日本には、タンスにきれいにたたまれたまま誰にも着られることがない着物が大量にある。
誰も見向きもしないのなら、それらの古着物を解き、再び使えるようにリメイクするのも楽しそうだった。
そうして手に入れた着物は色も柄も素材感も豊富で大胆だった。
自分の手持ちの服や街行く人々の洋服が地味で無難な無地ばかりで、いかに味気ないのかを知ってしまった。
壊れた器や着物を再び使えるように手間暇かけたものは、世界で唯一の一点物となった。
大量消費大量生産でないものの豊かさがそこにある。
「使えるものなのに捨てて新品を買うなんて、日本人はなんて無駄に贅沢で、心が貧しいんだろうね」
今では、ワロロット市場のおばあちゃんの心の声が聞こえるような気がする。
わたしの中で、豊かさの価値観が変化したのである。
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