演じなくてもよくなるように

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「なんで、いつも愛宕山に行くの?」 「そうだね“何もないから”、からかなぁ」 「へぇ、ふうん、そうなのね」 と、分かったような、分かっていないような返事をもらうやり取りを何回か繰り返していたのは、大学生時代から付き合っていた最初の彼女とでしょうか。  大学を卒業し、ゲームセンター運営会社に勤め始め、新しい環境での仕事の悩みや、荒れていた実家の事、当時付き合っていた彼女の事、仲の良かった友達の事等、心の中が色々な考えや、漠然と整理できない気持ちであふれ、「辛いなぁ」と感じる時期がありました。環境の変化、整理できない気持ちを整えてくれる、そんな場所に「愛宕山」がありました。  茨城県水戸市から西に向かって岩間街道を真っすぐ1時間ほど走ると、300m程の高さの山が見えてきます。岩間駅を横目に右に大きく曲がり、その先の商店街の方へ走ると、「愛宕山こちら」の看板が見えてきます。その看板の交差点を左折して、かなり急勾配の山道に入ります。ヘアピンカーブが三つ四つ続き、最後は緩やかなカーブを走り抜け、目の前に広い駐車場が広がります。そこが目的地の「愛宕山 山頂駐車場」です。  私が愛宕山に通い始めた当時、愛宕山には観光案内所も無く、子供用の滑り台が裾野に向かって伸びていき、山頂には愛宕神社、駐車場の先には市が運営しているだろうロッジが数棟。自販機も山頂の愛宕神社にしかないような場所でした。とはいえ、山頂の駐車場はアスファルトで平坦に整備されていましたので、雨の日とかに立ち寄っても泥が巻き上がることもありません。  人が全く立ち寄らない場所なのか、と聞かれれば、例えば桜が咲くシーズンにはお花見に来る人達で賑わったりもするし、愛宕神社では「悪態まつり」なる行事も行われていたようですが、そう言ったイベント事でのタイミング以外で駐車場に10台以上の車が止まっていたことを見た事は無かったので、たくさんの人が集まるような観光スポットではありませんでした。  そんな場所によく通うことになる私は、学生時代に「あなたの性格は?」と聞かれた場合、「真面目な性格です」と答えていました。  何も考えずに言われた通りに物事をこなし、大きな反抗期も無く過ごすような感じの学生時代。私の思う「真面目」っていうのは、親の言いつけを守り、学校にはさぼらず通い、大人になれば会社に就職し、そのまま安定した人生を過ごせるような、人の道を踏み外さない、そんな生き方の事かなぁ、って。  大学では東京に出て、一人暮らしを始めます。そこでたまたま始めた「地域一番店の実績」を持つピザ屋のデリバリーのアルバイト先で、自分を変えるきっかけを与えてくれた先輩がいました。  「自分は真面目な人間である」という考えで20年間生きてきた私に、その先輩から受けた影響は大きなものでした。「突き抜ける力」とでもいうのでしょうか、馬鹿らしいほどの笑顔、馬鹿らしいほどの元気さ。その上で仲間に対する気配り。それが一緒に働くピザ屋のクルー全員を巻き込んで先輩を中心に大きな渦となり、元気な職場になっていました。  私もその先輩に影響され、「真面目」状態では出来なかった笑顔や、元気な立ち居振る舞いは、当時の私の真面目さの限界突破を引き出してくれました。 変化の程度で言えば、 「おはようございます。今日も一日がんばりましょう」からの一礼しかできなかった私が、 「元気にオハー!今日もハイテンションで配ってやりまっしょい!」からのジャンプ!まで、心から楽しく出来るようになっていました。周囲のメンバーも笑いながら、冷やかすことなく合わせてくれました。  当時、デリバリーピザ屋のルールとして認知されていたのが、注文から30分でピザを配達できなければ半額、とか700円引きといったルールがまかり通っていた時代です。ドライバーや、キッチン、オーダーを受けるクルー、中心にいたその先輩の元気さとチームワークがなければ、地域一番店と言われるだけの実績は出せなかったでしょう。  「真面目」以外の「突き抜けた馬鹿元気」という一面を演じられるようになった事と、地域一番店の一翼を担ったという経験は、就職を決め、社会に出ていく上で非常に大きな自信になりました。けれどもこの「新たな一面を演じられる事」で、いろいろな影響が出るとは、当時思ってはいませんでした。  大学を順調に卒業し、全国展開のゲームセンター運営会社に就職が決まりました。最初の勤務先は実家から通える店舗になったので、茨城県に戻ります。配属店舗ではゲーム業界未経験の「新人」でありながら責任のある「社員」という立場になりました。先輩アルバイトスタッフから仕事を教わりつつ、社員として店舗の管理業務も行います。  接客面では元気に先輩スタッフと馬鹿をしながら笑いを取るような接客をし、事務所に戻れば真面目に管理業務を行う。そんな二面性を持ちながらも、仕事は楽しい事が多めでした。  けれども、実家に帰ると楽しい事ばかりではありませんでした。家の中で暴れ、深夜徘徊するようになった祖父と、そのフォローをする両親がいます。東京に出る4年前は“ちょっと荒れていた”程度のイメージでしたが、時間が経過しても改善することなく、当時よりも悪化していました。4年前までは両親に守られていた立場の私でしたが、今度は「両親を守る立場」になり、暴れる祖父を止めたり、深夜の街を祖父を探して回ることも、徐々に頻度が上がってきていました。  仕事で疲れているけれども、実家での対応をしている間は両親を守り、励ますために笑顔を作る私が、実家での私の役割になってきていました。  そんな環境の中、就職してから1年間で色々な事を経験し、様々な対応を行い、結果、「職場での私」、「実家での私」、「プライベートでの私」と、それぞれに合わせた自分を演じ分ける様になってきました。  自分がその場に合わせた「役割」を演じ、シーンが変わるごとに次々と役名を変えていくことに慣れていきつつも、演じる事に疲れていったのは事実でした。学生時代までの「真面目」に言う事だけを聞いて動いていた頃から、環境も変わり、行動も変わり、それらが一気に流れ込んできたことで、心に余裕がなくなってしまった事も疲れていった要因かもしれません。  そんなある日、休みの日の息抜きのつもりで始めたドライブで、ひたすら西に走り、到着したのが愛宕山でした。免許を取りたての頃にも何回か来ていましたが、その時には仲の良い友達同士で、ただ遊ぶためだけで来ていたので、一人で来るという事はそうそうありませんでした。  急勾配のヘアピンカーブを抜けて到着した山頂で、一息つきます。  車を降りて、見晴らしの良い裾野の方に歩いていきます。ちょっと下を見ると、岩間の街と駅が見えました。東側に向けて目を向けると遠くに見えるのは水戸市の県庁タワー。さすがに遠くに離れていても目立ちます。さらに遠くに目を向けると太平洋。左右を見渡せば、涸沼や、遠く東海方面の工場街も見えました。  空を見上げると広い青空に飛行機が雲を引きながら飛んでいるのが見えます。南に向かっているので、成田空港に行くんだろうなぁ、とかぼんやりそんな事を考えながら、1時間前までいた、地上の世界に思いを馳せていきます。昨日はお店であんなことがあったなぁ、とか、実家は今日は平和だったなぁ、とか。思いがあちらこちらに、取り留めなく飛んでいくのをぼーっと自覚しながら、視線は眼下の街に向けていました。  10分程ボーっとしてから、周りを見渡した時、ふっと気づいた事実がありました。  「今現在私の周囲数百メートルには誰も人がいない」という事です。駐車場に止まっている車は私の乗ってきた乗用車一台のみ。途中上ってきた道路では車とすれ違わなかったし、山道を登っている人も見かけませんでした。  耳を澄ませても人の声なんて聞こえません。風がサーっと流れていき木々の葉を揺らしている音と、上空の方から聞こえてくる鳥の鳴き声。  まるで人間の世界から切り離されたような感じがしました。  とはいえ眼下の街では車は走っていたし、常磐線を走る電車も見ることが出来ました。人々の営みは確認出来るけど、その世界から切り離された場所、それが今の愛宕山の頂上なんだ、そう思いました。  そして、今、この瞬間は、誰のために何かをする必要が、演じる必要がない、誰の目も気にしなくて良い、素の自分でいていいんだ、とも思ったのもこの時でした。  家に帰れば両親と祖父が、会社では仲間がいます。通勤中でさえ、周囲に人がいなくなるなんてことは全くありません。  自分がどの役割を期待された状態なのか、この集団の中ではどの役割がいいのか、そんなことを気に留める事がこの場所では必要無いという事に気づいた事で、誰かに合わせることも無く、誰かに気を遣うことも無い、素の自分でいて良いという事、これが私の心に余裕を取り戻してくれました。  目の前に広がる関東平野、その先、遠くに見える太平洋をぼーっと眺めたり、音楽を聴きながら本を読んだり、気が向いたら山頂まで歩いて行って、愛宕神社にお参りをしていました。誰かに何かを強制されるわけでもなく、自分から何かを追いかけることも無い。ゼロベースの自分を取り戻せたと思います。  ちょっと余裕が出てきたところで、最近演じていた役割の事を客観的に考え、これからどうしたら良いのか、準備をしていく余裕もできたのでしょう。仕事ではこうしていこう、両親や祖父にはこう接していこう、今度は彼女と何処に遊びに行こう、などなど、色々な人との関わりを冷静に頭の中にイメージをして優先順位を整理することが出来ました。  それらは、役割が大量に増えた当時の私には、必要なプロセスだったのでした。  愛宕山の「何もない、誰もいない」世界から切り離された環境のおかげで、気持ちのリセットと心の平穏を取り戻し、役割を演じ続けなければいけない現実の舞台に戻っていけたんだと、その時期から30年経過した今、改めてそう思えるようになりました。  30年の間に私も結婚したり、子供二人に恵まれ、職場も仙台とか盛岡、北日本関係をあちこち転勤しつつ、行く先々で愛宕山のような場所を探していきますが、中々同じような見晴らしの良い、誰もいない場所、っていうのは見つけられないままです。  愛宕山も30年の間に、子供用のアスレチック用具が作られ、そして取り壊されたり、観光案内所もできて、前よりも長時間を過ごすことがしやすくなったりしています。空を見上げれば、茨城空港が出来たことで前より低く飛ぶ飛行機が見られるようになったり、駐車場にも車止めが出来て管理面も進化していたりします。  それでも30年間変わっていないのは、眼下に広がる関東平野の広がりと、山の下の世界と切り離せる環境があるという事です。 「なんで、いつも愛宕山に行くの?」 もし今、我が子にそう質問されたら、こう答えます。 「本当の自分を思い出させてくれる場所が必要だからだよ」
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