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little love song
伊織のことを、そういう目で見るようになったのはいつからだったか。
友達とも違う。兄弟とも違う。拓真や穣とも違う。
同じじゃ嫌だ。特別がいい。伊織にとってたったひとりの恋人になりたい。
ずっとずっと、そう思っていた。
*
*
「あの子可愛い!!」
大きな声をあげて、拓真が突然走り出す。
拓真が向かった先にいたのは、同じマンションに住んでいる高齢のご夫婦と、その旦那さんがリードに繋いでいる薄茶色の子犬だった。確かご夫婦で二人暮らしだったはずだけど、犬を飼い始めたのかな?
「わぁ、可愛い…」
俺の隣にいる伊織も、その子を見つけてふにゃりと顔を綻ばせた。
子犬ももちろん可愛いけど、伊織のほうがよっぽど可愛いのに。
そのときの俺は、きっとそんなことを思ったはずだ。
あれは拓真の家族が伊織の隣の部屋に越してきて間もない頃。
俺と穣も拓真とすぐに仲良くなって、4人でいるのが当たり前になっていた。
たぶん4人でどこかに遊びに行ったその帰りだったと思う。マンションの前でその子犬に会ったのは。
「触りたいなぁ…」と、ぽつりと伊織がつぶやいた。
伊織は小さいときから動物が大好きな子だった。
うちのマンションはペット可で、飼おうと思えば飼えるんだけど、犬や猫を飼うことを伊織の両親は許してくれなかった。
伊織の両親は共働きだし、伊織が学校に行っているあいだ、その子がひとりぼっちになっちゃうのは可哀想でしょ?って。そう言われると、伊織はそれ以上「どうしても飼いたい!」ってわがままは言えなくなってしまう。ひとりっ子で、とっても愛されて育っているけど、やっぱり両親がきちんとした人だからか、伊織も聞き分けが良すぎるところがあった。
「こんにちはー!ポメラニアンですか!?」
拓真は誰にでも分け隔てなく明るく声をかける。その拓真の問いかけに、奥さんは「そうよ。可愛いでしょ?」と自慢げにその子を撫でた。
「飼い始めたんですか?」
そう聞いたのは穣。
「ううん。この子はうちの娘夫婦が飼ってる子なの。旅行に行くから預かることになって。うちも飼いたいんだけどねぇ、この年になると最後まで面倒見れなくなっちゃうかもしれないから。それじゃ可哀想でしょ?」
言いながら奥さんは優しく笑っているけど、その笑顔はどこか寂しそう。
「触ってもいいですか?」と、触りたくてうずうずしている伊織の代わりに聞くと、奥さんは「もちろん!この子すごく人懐っこいから」と快諾してくれて。
そしてその子を抱き上げると、「抱っこしてみる?」と、伊織に笑いかけた。伊織が触りたがってるの、バレてたみたい。すると伊織は「いいんですか?」と、遠慮がちに両手を差し出した。
「ふわふわだ…可愛い…」
恐る恐る抱っこする伊織の腕の中で、子犬は良い子でおとなしくしている。
やっぱり犬にも伝わるんだろう。この人は優しい人だって。だってもう、子犬はすっかり安心しきって、伊織の腕に自分の頭をすりすりと擦り付けているんだから。
「伊織、よかったね」
「うん!」
ニコニコと笑う伊織に、こっちまで嬉しくなる。
しばらく伊織とその子犬を眺めていると、もう我慢できないと言うように拓真が言った。
「伊織!交代!」
そして伊織の腕から子犬を抱き上げて、自分の腕の中に閉じ込めてしまった。その瞬間、伊織は「…あ…、」としょんぼりとした顔をする。
だけど拓真にもうちょっと待って!とか、俺ももっと抱っこしてたい!とか、何か言うことはしない。
寂しくても我慢する。
もちろん拓真だって意地悪でやってるわけじゃない。拓真は人に甘えたり、わがままを言ったり、そういうことが自然と出来ちゃう子だった。それも嫌味なく、どちらかと言えば可愛くやるから、俺も穣も、そして伊織も、「しょうがないな」って、笑って許しちゃうばかりだった。
伊織だってもっと、せめて俺や穣には甘えてくれてもいいのに。でもそれが出来ないのが伊織で、伊織のそういう不器用なところを可愛いなぁ…と思っていた。
でもこのときばかりは、伊織があまりにも寂しそうな顔をするから。
「伊織」
「ん?」
「大人になったらさ、犬飼おうか」
「え?」
「え?」
俺の言葉にえ?と声を上げたのはなぜか穣と拓真で。そしてご夫婦も「あらあら〜」となんだかニコニコ?いや、ニヤニヤ?と楽しそう。
伊織を見れば、伊織は耳まで真っ赤にして目をまん丸に見開いていた。
*
*
「…なんだ…」
「ん?なに?」
隣にいる伊織が、どうしたの?と顔を覗き込んでくる。
恋人になってから、伊織は不器用なりにも少しずつ、俺に甘えてくれるようになった。
でもまだ恥ずかしいのか、手を繋ぐのも、ハグをするのも、そしてキスをするのも、ぎこちなくってガチガチに固まっているけど。
だけどやっぱり、そういう伊織が可愛くって仕方ないと思う。
「伊織。大人になったらさ、犬飼おうね」
「…え…?」
そう言うと、あのときと同じように伊織の顔がぶわっと赤く染まっていく。
そういう目で見るどころか、あのときすでに、俺はプロポーズまがいのことをしていたんじゃないか。
気付くのがもっと先だったとしても、俺はあの頃から、もっともっと小さい頃から、伊織に恋をしていたんだと思う。
「ね?犬飼おう?」
「えっと、あ、うん…」
真っ赤になって俯いて、それでもうんと頷いてくれる伊織が愛おしい。
だけど伊織の両親の言いつけを破るわけにはいかないから。俺がやることはただひとつ。
「俺、休み多くて絶対残業ない会社に就職するわ」
伊織は一瞬、なんで?と言うように首を傾げたけど、俺の言うことの意味が伝わったのか、その目をくしゃっと細めてほほえんだ。
「うん。俺も、そうする」
大人になったら、伊織と同じ家に住んで、ふたりで可愛い犬を飼う。
そんな未来を伊織も今思い浮かべているのかな。
好きな人と同じ未来を見ている。
それはとっても、幸せなことだ。
little love song
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