恋心泥棒

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恋心泥棒

 大学、行きたい。  そう思い立ってやって来た本屋の参考書コーナー。  俺は……かなり浮いている。    別に俺は不良ってわけじゃない。  父親が外国人で母親が日本人。瞳の色は母親の焦げ茶色を受け継いだが、髪の色は父親の金髪をかなり濃く受け継いでしまった。体格も良いし目つきも鋭いし、学校では見た目だけで「不良」扱いされる。いじめられるということはないが、誰もが俺から一定の距離を取っているのだ。  もう慣れたから、別に良いけど。 「……数学」  俺は「高校二年生、数学」の参考書を手に取った。それを開いてぺらぺらとページをめくる。そこには、今日の授業で習ったところも載ってあって、学校の先生が教えるよりも丁寧な解説が書かれていた。 「……」  ちらちら。  ちらちら。  視線が背中に突き刺さる。  何だよ。俺みたいな見た目が派手な奴が参考書っておかしいのかよ。  別に泥棒……万引きしようって思ってここに立っているわけじゃ無いのに。  俺が振り向くと、地元の中学の制服を着た数人のやつらが、びくりと肩を震わせて逃げるようにその場から立ち去った。 「……はぁ」  やっぱ、ネットで買おうか。  本屋だなんて、ガラでも無いところに来るんじゃなかった。  そう思って、手に取っていた参考書を棚に戻そうとした、その時。 「あ、その本、分かりやすく解説が載ってますよね!」  俺は振り向く。  すると、俺の斜め後ろに、眼鏡をかけた細身の男が立っていた。この本屋の名前が印刷されたエプロンを身に着けているから、ここの店員だろう。男は、にこにこと笑みを浮かべながら、俺の手元を指差して言う。 「僕も、高校の時にその出版社のシリーズの参考書で勉強したなぁ。君も、受験対策?」 「……ええ、まぁ」 「そっかぁ。それは二年生のやつだね。今から受験勉強なんて、偉いなぁ。僕はね、けっこうのんびりしてたから焦ったんだよねー」  こいつ、俺のことが怖く無いのか?  微分積分がどうのこうのと話し続ける店員に、俺はなんて表現して良いのか分からない気持ちになった。  みんな、俺と関わるのを嫌がるのに……変な奴。  俺は黙って店員の話を聞いていた。が、数分後に店員は「あ!」と急に声を上げる。 「ごめんね! なんか僕、めちゃくちゃ喋っちゃって……受験が懐かしくなっちゃったんだ。懐かしいとか言っても、僕まだ大学一年生だけど……」 「ここは、バイトですか?」  俺がそう訊ねると、店員は「うん!」と頷く。 「まだ半年だけどね。君は、バイトしてるの?」 「いえ……高校生で、こんな見た目の人間を使ってくれるところは無いから」  俺は金髪を指でいじった。  すると、店員は目を丸くして言う。 「え? でも、それ地毛でしょ?」 「……なんで、分かったんです?」 「だって、プリンになってない……根元まで金色だもん。綺麗だね」  ぐっと距離を縮めて覗き込まれ、思わず心臓が跳ねた。俺とは対照的に、店員の髪は真っ黒だ。ちょっとクセがあって跳ねている。セットもなにもしていないようだった。 「て、店員さんは、何学部なんですか?」  覗き込まれた照れ臭さを隠すために、俺は彼にそう訊いた。途端に、眼鏡の奥の瞳を輝かせて彼は言う。 「僕はね、文学部だよ! まだコースの選択は始まっていないけど、日本の文学を勉強したいんだ!」 「あ……それじゃ、夏目漱石とか、詳しいですか?」 「漱石!? 詳しくはないけど、好きだよ! 君も好きなの!?」 「いや……好きって言うか……時間つぶしで図書館で読んだ本が面白かったから……だから、大学行ったら、もっといろんな本のこと知れるのかなって思って……こんな理由で大学行くの、どうかと思うけど……」 「良いんじゃないかな! それじゃさ、僕の大学受けなよ! 一緒に勉強しようよ!」 「え……」  きらきらしている店員。  けど、俺の学力じゃ……この人、どのレベルの大学に行ってるのか知らないけど。  ただ、興味が沸いた。  俺なんかに、こんなに楽しそうな笑顔を向けてくる、この人に。 「……お兄さんが、勉強を教えてくれるなら、受ける」 「本当!? わあ……後輩が出来ちゃったよ」 「……ぷは! まだ受かってねーのに」  思わず噴き出した俺の頭を、店員はぽふぽふと撫でた。突然の事態に俺は固まる。 「ふふ。やっと笑ってくれた」 「……っ!?」 「笑顔、可愛くて素敵だよ」  そう言いながら、店員――大学生のお兄さんは「これが良いかなぁ」なんて呑気に俺のために参考書を選び始めた。その背中に隠れて、俺は赤面する。可愛いのは俺じゃなくって、アンタの方だろ!? なんか、ふわふわしてるし、近寄れば良い匂いするし……って、何考えてんだよ俺! 「勉強、頑張ろうね?」 「……ハイ」  俺の恋心を簡単に盗んでしまった年上のその人は、優しくふにゃっと笑う。  この人を、守りたい。そんな思いが俺に芽生えた。  はたして、この人の前で冷静に勉強なんて出来るのだろうか。  頑張るけど。頑張って、この人の後輩になってみせるけど!  恋について書かれた参考書は無いのだろうか。お兄さんの手の中の参考書の山を眺めながら、俺はそんな馬鹿みたいなことを思ったのだった。
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