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今朝、三角の進路のことを知ってしまってから、ずっと考えていたことがある。
「更科さん、もっと簡単なレシピにしよう」
「え」
現在特訓しているのは、皆おなじみのショートケーキ。スポンジ作りにクリーム作り、そして飾り付け……あらゆる要素が詰まっていて、個性も出しやすい。
だけど手順が多い分、必ずしも簡単とは言えない。
シンプルで簡単、初心者向けのケーキは他にたくさんある。
「カップケーキとかパウンドケーキとかは? ホットケーキミックスで作れるし、時間もかからないし、調理実習にも向いてると思う」
「で、でも……地味になっちゃう」
「あいつは見た目とか気にしないって。味さえ良けりゃ満足するから。逆に味が悪いと、印象最悪になるじゃん?」
「味も見た目も良くするために、教えて貰ってるんじゃ……」
「あー……ほら、段階踏むって大事だと思って」
「地味な私が地味なもの作ったって馬鹿にされる……!」
「そんなこと言う奴じゃないって。誰が言うんだよ、そんなの」
「ま、周りの子とか……」
「周りの子のために、告白すんの?」
びくっと体を震わせると、俯いてしまった。
「違うだろ。自分のためだろ。だから自分にできる最大限のことをしたら……」
「ただでさえカノジョさんがいるのに、地味でショボいものなんか渡したら、覚えて貰えない……!」
声まで震わせて、彼女は叫んだ。
「カノジョがいるって知ってたのか? じゃあ何で告白なんて……? フラれるってわかってるのに?」
「ただ、覚えていて欲しくて……」
「何だよ、それ……馬鹿馬鹿しい」
「え」
僕は、ため息をつきながらエプロンを外した。吐きだした息は重く、ずっしりと足下に凝っている気がした。
「そっかそっか。味はともかく形を整えて見た目を派手にしたかったのか。だったら最初から言ってくれればいいのに。アイシングとかスプレーとか、いくらでも方法あるんだから」
「そ、そんなことは……」
「あるだろ? 派手な見た目でインパクト与えたいんだよな。それでお決まりの台詞言いたいんだろ?『ちょっと失敗したけど、気持ちはたっぷり入ってるんです』ってやつ……僕が一番嫌いな台詞だ」
「き、嫌い……?」
「不味いものをごまかすことの何が『気持ち』だよ」
更科さんの目が、怯えたように固まった。ようやく、気付いたようだ。
「本当に『気持ち』を込めたいんなら、ちゃんと作れよ。今の自分に出来る最高傑作を出せよ。それでこそ愛情って言えるんじゃないのか?『失敗したけど、まぁいいか』なんて気持ち、誰が喜ぶんだよ」
更科さんの瞳が、じんわり滲んでいる。まずい、とわかっている。だけどもう、止まらなかった。
「その程度の『気持ち』じゃ、どのみち覚えてなんてもらえないよ。不味いもの食べさせた奴って程度だ。それぐらいなら、僕のケーキを使って挑んだ方がまだマシだ」
その言葉と同時に、バシンッと大きな音が響いた。気付けば、更科さんが机に拳を叩きつけていた。起こっているのか、泣いているのか、俯いていて分からない。けれど震えている。
どう声をかけようか迷っていると、素早くエプロンを外して僕に押しつけ、走り出した。
「ごめんなさい……!」
そう、かろうじて聞こえる声で、言った。
やってしまった。今更、愕然とした。
僕は、一番やってはいけないことを、やってしまったのだ。
僕は「恋泥棒」。他人の恋をほんの少し頂く者であって、決して他人の恋を壊す者なんかじゃないのに。
彼女のエプロンから、キャンディが一つポロリと転がり出た。
口に入れると、えぐ味と渋味と、酷い苦みが広がって、とても食べられたものじゃなかった。
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