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Side A
つらい。ここまで強い苦しみは初めてだ。不幸なことが起こりすぎた。私の身には余る試練だった。
何度か人生を終えようとさえ思った。今ここに生き続けているのは、ただの不運だ。最期の一歩を踏み出す勇気がなかっただけだ。今も、死というものに片足を突っ込んだまま歩み続けている。
抜け出さなければならない。そう思っている。抜け出したい。そう心が叫んだ。私にこんなにも感情が残っているとは、思ってもみなかった。
さぁ、ならば、今回は滅多に声を上げない感情の望むままにしよう。経験、そして偉人の言葉にも裏付けられた、極めて有効な手段を以って。
なりたい自分を演じれば、なりたい自分になれる。私は、死を選ばない人間になりたい。
死を選ばない人間というのは――おそらくマジョリティの人間ということになるのだろうが――果たしてどんな生活をしているだろうか。
朝起きたら、顔を洗って服を着替え、朝ごはんをしっかり食べる。時間に間に合うように通勤ないし通学をしている。他人と挨拶を交わし、他愛もない会話をする。昼になれば休憩をとる。その頃にはお腹が空いていて、高揚した気持ちで昼ごはんを口にする。罪悪感を感じずに適度にサボり、作業に支障がない程度の時間にボチボチと業務を再開する。日が傾く頃には作業を切り上げて、当然のように帰宅する。帰宅したら作業の続きもせず、そのことで自己嫌悪にも陥らず、寝る時間まで自分の好きなことをする。食欲がないので夕飯は食べない、などという選択肢は頭にない。そして、寝るべき時間にはしっかり眠くなって穏やかな感情で目を閉じる。そうそう、世の人たちは、毎日しっかりとお風呂に入るらしい。きっと、お風呂に入らないという選択肢も頭にないのだろう。
こんなところだろうか。ここまでわかれば簡単だ。私はこの人生を演じればいい。
私は無理にでもごはんを食べた。重い腰を上げて毎日お風呂に入った。作業をしたくないときは積極的にサボった。定時になれば帰路についた。周囲の人への挨拶も忘れなかった。
演技の結果は、上々だった。過去最長とも言える期間、私は生きることを疑っていない。この最長記録は今このときも更新し続けている。
自分を責める頻度は格段に減った。毎朝家を出るときに涙を堪えることもない。毎日つらい思いをせずにご飯を食べられるようになった。やりたいことをやる気力が出た。心の中が晴れ、澄み渡っていくのを感じる。
素晴らしい。私は新しい人生を手に入れた。これで私は、自分の好きな人生を歩むことができる。
か弱い闇は心の片隅でひどく怯え泣いて、不安感と恐怖心を放って気持ちが快晴になるのを頑なに拒んでいた。
やがて私は違和感を覚えるようになった。いや、多幸感に変わりはない。変わりはないのだが、この多幸感と同じくらいの大きさの、何か別の感情が生まれたのを感じた。
その感情は叫んだ。「こんなのは私じゃない」、「助けてくれ、消えてしまう」、「やめてくれ、何者かに乗っ取られている!」と。
当然、そんな言葉は無視した。私は演技を続けた。だって、彼は代わりに何を望むというのだ? また死を纏って生きたいのか? 自分を呪って生きたいのか? そんな人生を歩むくらいなら、他人に乗っ取られた方が好都合ではないか。
彼は本当に五月蠅かった。どんなに楽しい思いをしても彼がずっと心の中で叫んだ。あろうことか、他者へ干渉して助けを求めたこともあった。
幸い、長くは続かなかった。消えるときはあっという間なものだ。
今私には、乗っ取られることに対する恐怖心が一切合切なくなった。
さぁ、演じ続けよう。私は私じゃなくなった。あるいは、演じなくとも私で在れるようになった?
嘘で手に入れた普通の人生、これからも噓のレールを進んでいく。青空の下。
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