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風が涼しげな夏夜の香りをのせて舞い込んだ。
世界はようやく深海に負けぬ闇に飲み込まれたのだと知る。
深い海の底は水深が深くなるごとに光が届かなくなるため、二〇〇メートルからは全く光を感じられなくなるという。
田舎では起こりうることだが、都会であればそんな事は滅多にあり得ないだろう。
しかし都会は常に光が散りばめられているのに、上を見ても星の光は見えないのだ。
人が生活しているから明るいのに、人が生活しているせいで自然の耀きが見られないのは皮肉な話だ、と青井 遥祐(あおい ようすけ)は常々思っていた。
東京から新幹線で片道一時間半から二時間ほどに位置しているド田舎。
小学生や中学生のころは毎年夏の恒例行事である祖父母家訪問が嫌で嫌で仕方がなかった。
その年頃の子供はやけに都会の流派に敏感で変に擦れていたので、ド田舎の何もない田んぼ道の一軒家だなんて行きたくなかったのだ。
ましてや時期は夏。
都会では見かけない大きさの意味のわからないグロテスクな虫がいたり、知らない老人に話しかけられ、子供だというだけで普段口にしないような和菓子や、苦手な野菜をたらふく持たされたり、夜はやっぱり意味の分からない虫の鳴き声がうるさくて、その声を聴くだけで体が痒くなるような気さえした。
ぶー垂れる生意気な子供の唯一の楽しみは、毎年必ず貰えるお小遣いの中身をこっそり確認することだった。
なんの手伝いもせずただ元気な顔をみせるだけでもらえるお金というものは子供にとってはとても魅力的だったのだ。
昔はもらえるのが当たり前だと図々しいことを考えていたが、働いていない祖父母のお財布は何で賄っていたのか、去年高校生となった遥祐はようやくそれが年金であることを知り、最近はもらうのが申し訳なくなっていた。
しかしおじいちゃん、おばあちゃんとは不思議な程愛の深い生き物らしい。子供がほんの少し大人の対応を見せると寂しそうな顔を惜しげもなく見せてくるのだ。
貰うことも罪悪感であるのに、その罪悪感以上に罪が重いことをしてしまったような錯覚を覚え、結局高校二年生になった今も図々しくもらい続けている。
高校生活を終えるまではもらっとけば、という母の言葉に胡坐をかいて、そうさせてもらおうと一人心に決め、今日もまた貰ったお小遣いを絶対に無くさず東京に持ち帰れるようにしっかりと鞄の内ポケットへとしまったのだった。
今となっては年老いた祖父母に顔を見せる為に帰らなくては、気が済まない体になっていたので、今年も遥祐は、コンビニもスーパーも徒歩圏外、Wi-Fiも……そもそも携帯の電波さえ怪しいこのド田舎に、律儀に帰ってきていた。
「ヨウちゃん、おやすみねぇ」
「うん、おやすみ、ばあちゃん」
毎晩優しく戸を叩き挨拶をしてくれるばあちゃんに笑顔を返した。
ゆっくりと歩く祖母の足音をのんびり聴きながら布団に寝転がった。
いつもだと、遥祐の他に両親と一つ下の妹が一緒に来ていたのだが、今年は妹が高校受験を控えている為両親と妹は留守番をしている。
よって遥祐一人が祖父母の愛を独り占めできるというわけだ。
遥祐は、静かに横になった弾みでふわりと懐かしい匂いが鼻腔に広がるのを噛み締めていた。
深夜0時、真夏の特等席で。 #1
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