深夜0時、真夏の特等席で。

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「ヨウちゃん、今年も来たんかぁ」 「番台のじいちゃん、久しぶり」 相変わらず度の合っていなさそうな眼鏡をかけて人のよさそうな笑みを浮かべて歓迎してくれる、村でたった一つの銭湯を一人で切り盛りしているおじいちゃん。 散歩に行った翌朝は必ずと言っていいほどこの銭湯でゆっくり汗を流すのだ。 朝の九時頃は人が疎らだが、朝風呂をしようと来る人は少なくはない。 遥祐も例に漏れず朝風呂最年少常連客だった。 「じゃあまた来るね、じいちゃん」 「おー、まさちゃん達によろしくなぁ」 まさちゃん、というのは遥祐の祖父の名だ。 正次(まさじ)という名なので、なんでも「ちゃん付け」をしたがる村の住民の間ではまさちゃんと呼ばれていた。 銭湯から出ると日差しが強く、夜とは対照的に悶々とした暑さである。 まるで見えないヴェールに囲われてるような蒸し暑さだ。 田舎は開けているからまだ風通しが良いが、都会の夏はまさに地獄。 都会はその分、文明開化が華々しい為、冷風機器が発達しているのが利点だろうか。 遥祐からしたら、人口の冷風は苦手なので田舎の風ほど心地よい物はないと思っている。 夏の夜、網戸にして扇風機を点けタオルケット一枚をかけ寝るのが堪らなく心地よい。 帰り道、近くの駄菓子屋に寄って昔懐かしい、小さな器に入ったヨーグルトを三つ手に持つ。 象のイラストが描いてあり、木のへらで食べる物だ。 それから、口に含んだらシュワワとぱちぱち弾けるソーダ味の飴玉も三つ。 祖父母の好きなまんじゅうのあずきアイスを二つと、自分用にモナカのバニラとチョコのアイスを持ち、レジのおばあちゃんに出す。 「あんらぁ、ようちゃ、元気かぁ。こんあいだ、まさちゃとふみちゃに会ったなぁ」 元気じゃったわぁ、と楽しそうにお話をしてくれる駄菓子屋のうめばあちゃん。 「元気だよ。こっちは涼しくていいね」 「そらそうじゃ熱を跳ね返すようなもんもここらにはよおないかんなぁ。ほぉらなんちゅったが……ある……あるもんと……みてぇな……」 歯のない口を必死に動かして何やらもごもごと言っている。 熱を跳ね返すアルモント……。 「もしかして、アスファルト?」 「それじゃ。アーモンドじゃ。それが温暖化になる原因に決まっとれい」 まああながち間違ってはいないのかもしれないな、遥祐は頷いた。 「都会はすぐ機械に頼りよって、自然を殺すんじゃ。なんつったか……あのぉ、エアロ……みてぇな名の……」 「エアコンね」 「それじゃそれじゃ。エアロ。それのせいでなぁ都会の子供はみなもやしだわぁ」 いやに都会や新しい物を毛嫌いするのはうめばあちゃんの性格だ。 と言ってもこの村に住む人はほとんど、都会の人間や新しい物をとりあえず[[rb:貶>けな]]すところから始める習性があるらしい。 都会の人間は冷たい、だとか、愛想がない、だとか、機械は全部、自然を壊して温暖化を進めるものと認識している。 車もまた然りだ。 「うめばあ、はい、六〇〇円」 「あい、五〇円」 「ありがとね」 駄菓子屋を出て田んぼ道をのんびり歩き家に帰る道すがら、近道でもしようかと思った矢先どこからともなく犬が駆け寄ってきた。荒い息で遥祐の足元に纏わりつく。 「なんだお前、どこの犬だ?」 見たところ柴犬のようだが、汚れてもいないし毛並みも揃っていて綺麗だ。 何より赤い首輪がつけられて鎖も繋がっている。よく見るとドッグタグも付けられているようで、そのシルバーのプレートに彫られた名前は「KANBE」だった。 「かんべ?官兵衛?黒田官兵衛?」 わしゃわしゃと頭を撫でてやれば嬉しそうに口角を上げ、尻尾をぶんぶんちぎれそうな程振っていた。 「よし、案内しな。俺が送ってやるよ」 鎖を持ち歩き出したその時、「かんべぇー!」と叫ぶ声がどこからともなく聞こえてきた。 辺りを見回してみると、声の主がこちらに気づき一目散にかけてくる。 遥祐はその人間に見覚えがあった。 「あ」 「かんべえー!無事だったかー!よかったぁ」 心底ほっとした顔で官兵衛を抱きしめる男は昨夜、駄菓子の飴を分け合った男だった。 男は官兵衛から視線を外しゆっくり立ち上がって遥祐を見据えたかと思ったら、瞬間、一気に顔を明るくし「あ!」と声を上げた。 「キミ、昨日の子だねぇ」 「ああ、どうも」 上げた顔は昨日とはうってかわって髪を整えた男は見違えるほど小綺麗で端正な顔立ちをしていた。 色気のある優男、そんな風貌だった。 「キミが官兵衛見ててくれたのかぁ、ありがとぉ。あ、じいちゃーん!官兵衛おったよー!」 「おーおったかぁ」 髪はなく腰の曲がったおじいちゃんがよたよたとゆっくりこちらに向かって歩いてきた。 官兵衛はおじいちゃんを見つけた瞬間走り出し、おじいちゃんを労わるように足に寄り添って歩き出した。 「いんやぁあんがとなぁ。おや?キミもしかして正次んとこのお孫さんかぇ?」 おじいちゃんは優しく細めた目を少し開いた驚いた顔をした。 「はい、そうです。孫の遥祐です」 「ヨウちゃんなぁ、おしめしてたころ一回だけ会うたんだわぁ。大きくなったなぁ」 にこにこと、まるで自分の孫かのように遥祐の成長を喜んでくれる。ここにはそういう人ばかりだ。だから心が落ち着くのかもしれないな、と遥祐もまた微笑み返した。 「ほうじゃヨウちゃん、お礼にうち寄って西瓜さ食うか」 すいか……! 「……ッス!ぜひ!」 「当たり前じゃ。ほら、、ユキムラ持ってけ」 「じいちゃん、じゃなくてだって」 「ほたるちゃん?」 思わず口に出してしまった。 それもそのはず、遥祐はまだこの優男の名前を知らないのだ。 「なに」 酷くぶっきらぼうに返され少しびっくりした。 さっきまであんなに愛想よかったのが嘘みたいだ。 「ほたるってアンタの名前?」 「そうだけど」 むすくれる男は大した返事もせずに前を向いてさっさと歩きだした。 遥祐はじいちゃんと並んでゆっくり後を追うことにした。 「ほたるちゃんなあ、沢白(さわしろ)ほたるちゃんて言うんだわ。あの名前嫌いなんだと。わしも初めに会って名前きいたらあの顔されたわ」 「へぇ」 ほたる、だなんて綺麗で可愛い名前なのに。 「ほたるちゃん、ヨウちゃんにはなつっこいねぇ。知り合いかえ?」 「ううん。昨日知り合ったばかりだよ」 じいちゃんは一瞬驚いた顔をした後、妙に顔を綻ばせて嬉しそうに「ほうか、ほうかぁ」と言った。 「ほたるちゃんはなあ、人が嫌でここ来たんだと。元は東京生まれ東京育ちでなぁ。ここ住むようになったんはヨウちゃんよりずっと後でな。去年か一昨年辺りだなぁ」 人が、嫌で……。 「ここの生活にもまだ慣れんようでなぁ、まともに話せるのは大家のワシだけじゃ」 他の村人も愛想のない都会の若造が来た、とひそひそ話したり、挨拶もろくにしないほたるは村から煙たがられているらしい。 「ほんとは人と話したいんだなぁ」 昨日はあんなに一人ではしゃいでたのに、あれは本当のほたるではないそうだ。 「ヨウちゃん、ここにいる間ほたるちゃんと仲良くしてなぁ。友達にはちと年上すぎるかぁ?」 ケラケラ笑うじいちゃんに遥祐は「え?」と返す。 「年上なの?ほたるさん」 「たしか今年で二十四、五よ。見えんよなぁ」 え、ニートかよ。全然見えなかった。むしろ昨夜は暗がりのせいか同い年くらいに見えていたので、てっきり遥祐と同じ帰省組だと思っていた。 「じいちゃん!シティーボーイ!遅いよ!!」 ほたるの声が明るく響いた。
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