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本屋の女の子に恋をした。街角にある小さな本屋なら童話っぽくなるのだろうけど、今回の恋の対象は、大型書店でレジ打ちをしている女の子なのだ。
その子は白いシャツに緑のエプロンをつけて、次々の本を買う客のレジ打ちを対応していた。後ろはポニーテールにして、白い肌。黒縁のメガネが大きな瞳を強調している。話したこともない。ただ、レジ打ちの所作が綺麗だった。それだけで、どうしようもなく心が惹かれていた。
そのときの僕は大学生で、自分の衝動みたいなものを上手く形にする術を知らなかった。だけど衝動を形にしたいという思いだけは人一倍強くて、衝動のまま行動に移すことにした。今思うと、絶対に成功しない方法を形にしてみたくなったのだ。
メールアドレスと電話番号、そして名前とメッセージを一言。それを一枚のメモ用紙に書いて、四つ折りにしてレジの女の子に渡すことにした。それ以外の方法を、当時の僕は思いつかなかった。
欲しくもない本を2冊、手に抱えてレジに並ぶ。レジの列は6つほどあったが、迷わずに例の女の子の列に並ぶ。ドキドキしながら自分の番を待った。自分の心臓の音が聞こえるというのは本当なのだと思った。後にも先にも、心臓の音が聞こえるほどの緊張感を味わったのは、このときだけだ。
僕の番が来る。僕が持ってきた2冊の本の会計が始まる。間近で見ていても溜息が出るほど、その所作は美しく軽やかだ。首元や指先は透き通るほど白く、俯き加減な目元には吸い込まれるほどの黒い瞳を宿している。
彼女が本のカバーを取り付けているとき、僕はそっとメモ用紙をトレーの端に置く。袋に入れられた本を台の上に置いてから、彼女はトレーの上にお釣りとレシートを置く。メモ用紙に気づいたはずだが、それを無視して僕の方にトレーを近づけた。「○○円のお釣りになります」と言われたので、僕は財布の中にお釣りを手早く仕舞う。そして袋に入った本を手に取り、トレーを彼女の方に押しやった。トレー上にはメモ用紙が孤独に横たわっている。「これ、お願いします」と僕は言った。「え?」と彼女は小さく声を出す。戸惑いの表情が見てとれた。
僕は逃げるように、その場を立ち去る。そして本屋近くにあったドトールでアイスコーヒーを頼んで席に座った。さっき買ってききた本を開き、文字を追いかける。少しずつ少しずつ、心臓の音は聞こえなくなる。
本2冊とアイスコーヒー。心強い彼らと共に、僕は彼女から連絡が来るのを待っている。
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