第二幕 変えられた台本

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第二幕 変えられた台本

 演劇部の部室では、演劇コンクールに向けて慌ただしい毎日が続いていた。  刻一刻と迫る本番に向け、練習は徐々に激しさを増していった。 「ひい~今日も疲れたぁ。さ、帰ろうぜ泰輔」  練習が終わり、玲はぐったりした様子で帰り支度をしていたが、泰輔は一人で自作の台本を開き、黙々と読みふけっていた。 「あれ?泰輔、今日も残っていくのか?」 「うん、まあな。俺に与えられたタイムリミットは、あと1週間しかないから」 「そうだったな。淳史も意地悪いよなぁ。泰輔の気持ちが分かるなら、素直に役を与えてあげりゃいいのに」 「いや、あいつは誰よりも演劇にシビアな男だから。お情けで役を与えるようなことはしないよ」 「少しは妥協してあげればいいのにな……じゃ、お先に!」  泰輔が書いた劇の題名は『使用人ケントの恋心』。  めぐみが演じるレオナ姫に、泰輔が演じる使用人・ケントがひそかに一途な思いを寄せつつも、その気持ちを伝えられないまま、豪商の息子・アリアスと結婚してしまうというあらすじであった。  泰輔は照れ屋な性格で、感情表現がいまいち下手であることから、出来る限り感情起伏を減らす無難な展開となるよう、台本を書き上げていた。  その時、部室のドアが開き、髪の長い長身の女子が膝より少し丈の短い制服のスカートをひらめかせながら、ゆっくりと泰輔に近づいてきた。 「あれ?まだ残ってたの?泰輔君」  今度の芝居で一緒に演技する村瀬めぐみだった。 「めぐみちゃん!」 「ああ、今度泰輔君が私と一緒にやる芝居の台本を書いてたのか。無茶苦茶だよね?全てオリジナルで台本を作れだなんて。ちょっと私にも見せてくれる?」  そういうと、めぐみは台本を泰輔の手から奪うように取り去ると、椅子に座り、一枚ずつめくりながら、じっくりと台本に目を通した。 「へえ、『ロミオとジュリエット』みたいなお話ね。面白そう」  しばらく読んだ後、めぐみはちょっとだけ訝しげな様子で台本を閉じた。 「う~ん……全体的に話の展開にもう少し冒険が必要かもね。無事にやり過ごそうとし過ぎている気がする。ねえ、この台本ちょっと私に貸してくれる?もう時間が無いし、私なりに色々付け足してみるから」 「え?この台本のままじゃだめなのか?」 「そうね……このままじゃ部員のみんなの評価を得るのはちょっと厳しいかな?じゃ、私先に帰るね!」  そう言うと、めぐみは髪を振り乱し、台本を持って部室から出て行った。 「台本持ち帰ったけれど、中身をどう変えるつもりなのかな?」  泰輔は、折角書き上げた台本をどうするつもりなのか、不安が残った。  翌日、いつものように通常練習の後、部室に残り1人発声練習をしていた泰輔に、後ろからめぐみが近づき、台本を手渡した。 「昨日の台本、色々と手を入れてみたけど、これでどうかな?この内容で一度、通して練習しようか?」  泰輔は台本のページをめくると、咳ばらいし、力を込めて台詞を読み上げた。 『僕は、君をずっと好きだった。でも、その気持ちは、これまでずっと胸の奥にしまっていたんだ。だって、アリアスにはどうしてもかなわないよ。家柄も違うし、教養も剣の技も無い。こんな僕じゃ、レオナ姫と結婚する資格はない』  おや?と泰輔は首を傾げた。  台詞は、最初に泰輔が書いたものと同じだった。めぐみは泰輔の書いた台本に手を付けたと言うが、一体どこを変えたというだろうか?  続けて、めぐみがレオナ姫の台詞を読み上げた。 『何言ってるのよ!今からでも遅くないわ!ケント、あなたの本当の気持ちを私に見せて!隠さないで、ありのままのあなたを私に見せて!このままだと私も、あなたも、悔いを残したまま生きていくことになる。それだけは、絶対に嫌だから』  あれ?この部分は書き換えたのだろうか?レオナ姫は、ケントとの結婚を諦めることをほのめかすはずなのに……。  次は泰輔の出番だった。  台詞を確かめようと台本を見た瞬間、泰輔は目を大きく見開き、台本を持つ手が震え始めた。完全に落ち着きを失い、言葉が口から出て来なくなってしまった。 「あれ、どうしたの泰輔君?早く、次の台詞を言って」 「だ、だって、俺、こんな台詞入れてなかったぞ」 「泰輔君が書いた最初の台詞じゃ、私に何も伝わってこないんだもの。私に伝わらないんじゃ、他の皆にも伝わらないと思うよ」  めぐみは斜め下から睨みつけるような目つきで、泰輔を凝視した。 「わ、わかったよ。レオナ姫、僕は君が、だ、だ、だ……」 「だ?」 「大好きだ……」  そう言うと、泰輔はまるで魂が全身から抜けたかのように、その場に崩れ落ちた。  するとめぐみは手で口を覆い、身を屈めながら声を出して大笑いした。   「アハハハ、本当に私の事大好きなの?最後の方、全然聞こえなかったけど?」  そう言うとめぐみは立ち上がり、部室の床に横たわる泰輔に手を差し出した。 「ご、ごめんよ」 「あのさ、今からこんな状態で大丈夫?本番ではちゃんと大きな声で、ハッキリと台詞を言わなくちゃだめだよ。特に淳史はシビアに見てるからね。さ、もう一回練習。特に、自分の気持ちを告白する部分ね。ここがクライマックスなんだから」 「めぐみちゃん、俺、無理だよ……手が震える位、恥ずかしくって。めぐみちゃんを前にして、こんな台詞はまともな気持ちじゃ言えないよ。俺、一体どうしたらいいんだろう」  すると、めぐみは口元を押さえながら笑った。 「そうね……私を好きにならないとダメかもね。だって、嫌いだったり、半端に好きだったりしたら、台詞に気持ちもこもらないし、私に全然伝わってこないもん」 「す、好きになるって!?めぐみちゃんを?」  泰輔は目を丸くして驚いた。 「その通り。泰輔君が私を心から好きになることだよ。じゃ、明日も練習がんばろうね!」  その言葉だけを言い残すと、めぐみは笑顔で手を振り、部室から出て行った。  部室で一人取り残された泰輔は、餌を欲しがる鯉のように口を大きく開けたまま、しばらくあっけにとられていた。めぐみを本気で好きになれていない自分に、この劇をこなせるのだろうか?しかし、コンクールでの役柄を得るためにも、泰輔としてはここで諦めることはできなかった。  本番までの日々、泰輔はめぐみを相手に何度も台詞を繰り返し練習した。  一人での練習では難なく言えても、めぐみを目の前にして練習すると、恥ずかしい気持ちがこみ上げ、言葉が詰まってしまった。めぐみはそのたびに笑い転げていたが、泰輔に呆れることも突き放すことも無く、我慢強く付き合ってくれた。  そして、部員たちの前で劇を披露する日が翌日に迫ってきた。  一通りの練習をこなした後、ホッとした表情を浮かべた泰輔を見て、めぐみは笑顔で拍手した。 「お疲れ様。ここまでよくがんばったよね。台詞の言い回しも動作も、最初の時より全然上達してるよ」 「ありがとう、めぐみちゃん。俺のために、毎日付き合ってくれて」 「私のことは気にしないでいいからね。さ、いよいよ明日は本番だ~!今日はもう帰るねっ」  そう言うと、めぐみは大きく伸びをして、鞄を抱えて部室のドアを開けようとした。 「めぐみちゃん!」  泰輔は、帰ろうとしていためぐみに、突然声をかけた。 「な、何よ。いきなり」 「あ、いや、何でもない。俺ももう少ししたら帰るよ。じゃあな」 「じゃ、明日ね」  めぐみが部室のドアを閉めた後、泰輔はがっくりと肩を落とした。 「何だろう、この気持ち……こんなに胸が熱くなったこと、以前は全然無かったのに」  泰輔は毎日の練習で自分の台詞を繰り返すうちに、それまで全く味わったこともない感情が徐々に芽生えてきていたのだ。  それは、めぐみへの本気の恋心であった。
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