0人が本棚に入れています
本棚に追加
5.羊が五匹
ナースステーションで看護士佐伯と看護師長羽鳥が話している。
「あの子は佐伯君には懐いているから」
「からかわれているだけですよ」
「ま、あの年頃にあるのよ、年上のお兄さんを手玉にしたくなる時期よ」
「いいんですけどね、いい子だから」
「聞き出せそうにないかしら? 警察にも何かわかったら報告するように言われているし」
「嫌です」
「即答ね」
「訊きたいなら羽鳥さんがどうぞ、僕はそんなことしたくないです」
「あのね、訊くことはもうたくさんやったのよ、警察も、私たちも、わかっているでしょう」
「はい」
「言えないっていうことはね、つまり、加害者は身内ってことよ?」
「そのケースが多いってだけじゃないですか」
「そうだけど」
「加害者、なんてどこにもいないのかもしれない、あの子が言うようにただ眠れないだけ、理由はわからない、それじゃいけないんですか?」
「だって、あの子、眠っているじゃない。なのに眠れない眠れない、私は羊、馬鹿な人間を眠らせる羊だなんて、そんで夜な夜な夢遊病されちゃね、なにか事故でもあったら、膝擦り剥く程度じゃ済まなくなったら」
「それは……」
「あなたが付いてるっていうの?」
「いえ」
「ちゃんと寝ないと、あなたまで病気になるわよ」
「これは推測ですけど」
「うん」
「眠ることを拒絶する、ということは」
「そーいうことよ、文字通り、セクシャルな意味合いよ」
「いえ、そうじゃないんです。その、具体的なことではなく、眠ることを拒絶するということは、怯えているということです、あの月明かりにも燃える太陽にも、区別なく風にも動物の鳴き声にも、恐怖しているってことです。眠るという無防備な状態に自分を置けない、それは何より、不安な状態なのに、あの子はずっとずっとそこにいるしかないんです」
「眠ると誰かに襲われたってことよね」
「だから、そうじゃないんです」
佐伯は医学書のページを繰りながら、一分銀の講釈を頭の中で捲し立てた。
――一朱が二百五十文なんだ、それがよっつで一分になる、だから千文、落語の時代だと屋台のうどんが十六文だから、うどん六十二杯分ってことになるわけで……。
最初のコメントを投稿しよう!