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第一幕 神石わたり
「でさ、結って一緒に行く相手決まった?」
前の席の茜子が、いかにも意味ありげな目つきで背もたれに頬杖をつく。
「何の?」
台本を捲りながら目線を上げる私に、茜子は含み笑いして答える。
「『神石わたり』に決まってるじゃないの。狐集山の」
「ああ、もうそんな季節だっけ」
「早くしないと、神様のご利益がなくなっちゃうわよ」
「気が早いわね。まだ夏至になったばかりなんだし、夏の終わりまでクダギツネも待っててくれるわよ。なにせ神様の使いなんだから」
「そんな悠長なこと言ってられないの。早く神様に恋愛成就してもらわないと、男日照りで干からびちゃうわよ」
胸元まで開けたシャツを下敷きで扇ぐ茜子を見て、小さく溜め息をつく。
「そういうとこ。神頼みする前に、もうちょっとしおらしくしてみるとか」
「いいの。若いんだから健康的であれば。『神石わたり』だって十代の男女しか出来ないんだから、神様だってちょっとは大目に見てくれるって」
吊り気味の目を細めてからからと笑うと、茜子は制服のスカートから下着が見えそうになるのも構わずに椅子に片膝を立てて座り直す。
「で、本当にどうすんの? まさか女二人で行く訳にはいかないでしょ」
「そうは言ってもねえ」
頭の後ろで手を組んだまま、椅子に仰け反る。
「残念ながらアテがないの。私は茜子みたいに四六時中異性にアンテナ張ってる訳じゃないし」
「なに言ってんの、縁結び祈願なのよ。しかも霊験あらたかな神獣、管狐のご利益満載ときたら、男の首に縄つけてでも引っ張っていくしかないでしょうに」
「そんなこと言って、茜子だって去年一緒に行った男とはすぐに別れちゃったじゃないの。南高の男だったっけ?」
「あー、あれは駄目よ。そもそも二股かける男なんて別れて正解だったんだし。管狐様もそれが分かってたから、早めに見切りをつけるように導いてくれたのよ。だから今年はきっと新しい彼氏を紹介してくれるに違いないわ」
「はあ、神様の使いも大変ね」
苦笑いする私に、茜子が声を潜めて言う。
「じゃあ、あの寝坊助は?」
茜子が指さしたのは、廊下側の席で机に突っ伏して眠りこけている一人の男子生徒だった。
「樹市?」
「そ、そ。まあ妥当でしょ。ボディガードとしてはちょっと頼りないけど」
「どうだかねえ。……まあ、今日の部活の時にでも訊いてはみるけど」
「どうせ今年も文化祭での演目は『狐集池』でしょ。演劇部員だったら管狐を祀っておいても損はないとか、上手いこと丸め込めばきっと大丈夫よ」
「何だか騙してるみたいで、いまいち気乗りしないけど」
「何よ、その顔は。幼馴染じゃ無難すぎてつまらない?」
「そうじゃないけどさ……」
口を尖らせていると、茜子が突然何かを思い出したように言う。
「そういえば去年の『神石わたり』って、結は誰と行ったんだっけ?」
「あんたとよ。あんたとその南高の尻軽男と一緒に、三人で」
「そうだったっけ? もう一人……誰か居た気がするけど」
茜子は怪訝そうに眉をひそめる。
「確か神石わたりに行った後、しばらくして狐集池の夏祭りがあったんだよね。ウチはその時はまだ尻軽男と付き合ってたから、祭りには二人だけで行ったはずなのよ。じゃあ結って、去年の祭りは誰と行ったのさ?」
「……覚えてない」
「去年のことなのに?」
「仕方ないじゃないの、本当に記憶に無いんだから。まさか夏祭りの夜にわざわざカップルの仲を邪魔するほど、私だって野暮じゃないわよ」
二人でスマホを取り出して去年の夏頃に撮った写真を探してみる。
「ほら、あったわよ。夏祭りの時の写真。この尻軽男のニヤけ顔見ると、今でもムカつくけど」
茜子の見せたスマホには、浴衣を着て仲睦まじく寄り添い合う二人の画像が写っていた。
「結は?」
「私の……は」
身を乗り出してスマホを覗き込んでくる茜子に、おずおずと自分の画像を見せる。そこには、一人で満面の笑みを浮かべて狐集池の縁に立っている私の写真が写っていた。
「うわ、怖。夏祭りの夜に一人で記念撮影してるんだけど」
「う、うるさい。人の勝手でしょ」
慌てて画面を消していると、ちょうど良いタイミングで担任が教室に入ってきたので、私たちは話をやめた。
出席を取り始めた担任の声が教室に響く中、窓の外に見える狐集山の稜線に目を向ける。
確かにおかしな話だ。
なぜ……去年の夏のことを何も覚えていないのだろうか?
去年の夏祭り、狐集池に青白い狐火の灯る夜……、
私はいったい、どこで何をしていたのだろうか。
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