第一幕 神石わたり

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   *  演劇部の稽古は、手狭な部室ではなく校舎の特別棟にある会議室でいつも行われていた。  放課後に特別棟へと向かっていると、前の廊下を歩く樹市の姿に気付く。後ろから見ても明らかにアクビをしているのが分かる樹市の背中を、手にしていたバッグで小突く。 「ああ、結か」  瞼を(こす)りながら振り返る樹市に、私は溜め息で返す。 「まだ眠り足りないの? 授業中ずっと寝てたくせに」 「俺だって色々と忙しいのさ。勉強とか」 「何の勉強してんだか。どうせまた徹夜でネットゲームとかやってたんでしょ、飽きないわね」 「なあに、集中力の鍛錬みたいなもんだ」  ズボンのポケットに手を突っ込んで肩をすくめる樹市に、私は言う。 「もっとシャキっとしてよ。今回の舞台の主役なんだから」 「なあに、俺は土壇場に強いんだよ。舞台に上がれば本気出るタイプ」 「そういうの、尻に火がついてるって言うのよ。邦代(くにしろ)部長にどやされて、後で泣きついてきても知らないからね」 「そういう現実味のある話は勘弁してくれ」  苦笑いしながら人差し指で頬を掻く樹市と会議室へ入った途端、待ちかねたかのように邦代部長の張りのある声が飛んでくる。 「あ、来た来た。これで全員揃ったわね。じゃあ稽古始めるから、みんな集合して」  小走りで部員たちが集まる中、部長はホワイトボートに配役表と公演までのタイムスケジュールを貼り付ける。 「今日は秋の文化祭公演の読み合わせね。演目は『狐集池(こしわいけ)』。キャストはこの間決めた通り、二年生を主体にやってもらうから。それ以外の作業分担は各自把握しておいてね、オウケイ?」  ホワイトボードに貼られた紙には、四人しか居ない二年生全員の名前が載っていた。  彰馬:瀬能樹市  咲奈:楠木香沙音  凛 :蓮條結  村娘:藤繁泰葉  車座になった部員たちをひと通り見渡した後、部長は一人だけ机の上に座っていた三年生の吉岡先輩をボールペンで指差す。 「副部長からは、何かある?」  未だに『副部長』と呼ばれるのが苦手なのか、吉岡先輩は逆毛を立てたような髪をバサバサと掻きながら、照れくさそうに口の端を上げる。 「んにゃ。舞台背景は使い回しできるのも多いし、あとは小道具と音響や照明のタイミングくらいかな。暗転転換の時の設営人数なんかは、まあ実際やりながら調整するよ」 「オウケイ。じゃあ読み合わせに入るわね。じゃあシーン0―1、プロローグの語り部の台詞から。ってこれは私のパートね」  語尾にオウケイ、と付けるのは部長の口癖だった。部員たちが真剣な表情で手にした台本の台詞を追う中、邦代部長のよく通る声が稽古場に響く。 『狐集地方には、遥か昔から管狐という怪異を神の使いとして崇める信仰が語り継がれてきた。土地の名前の由来にもなった管狐は、時に豊作をもたらし、またある時は天候を操って村に飢饉を与えたとも語り継がれている――』  それとなく視線を移すと、樹市は床にあぐらをかいて台本のページを(めく)っていた。  淡々として、でもどこか穏やかなその面影は、昔から変わっていなかった。
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