第五幕 暗転

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 茫然とする私に、茜子は俯きがちに目を伏せて告げる。 「ずっと思ってた。ウチが記憶を無くさなかったのは……きっと管狐から与えられた罰なんじゃないかって。結局ウチはその日以来、ずっとそのことを隠してあんたや瀬能と接するしかなかった。忘れることの出来ない罪を背負い続けていくように」 「罪……」 「結……ごめん。結にとって大切な瀬能との記憶を失ったのは、全部ウチのせい。もちろん今更こんな告白をした所で許してもらえるとは思ってないし、もう口も利きたくないのなら、それでも構わない。ただ……最後に本当のことだけは話しておきたくて」 「茜子……」  おそらく茜子は誰にも事実を告げることが出来ず、辛い思いを抱えたまま苦しんできたに違いない。樹市への思いが募るたびに同じことを繰り返す私を間近に見て、きっともどかしい気持ちを抱き続けてきたのだろう。  俯いたまま小さく唇を噛むその横顔を見て、私は静かに口を開く。 「茜子とのことが無かったとしても、遅かれ早かれ結局私は回廊めぐりをしていた。神石わたりの時だけじゃない。多分、この前の狐集池の祭りの時にも……私はあの洞窟をくぐったんだと思う」 「結……」 「こっちこそ、ごめんね。茜子の気持ちに気付いてあげられなくて。もっと早く私が気付いていれば、こんなに茜子を苦しませることなんて無かったのに」 「でも……ウチは」 「樹市ってさ、本当そういう所に鈍感でさ。はっきり好きって言わないと気付かない奴なの。だから去年の私も一緒に居て随分とやきもきしてたんだと思う。多分……茜子に樹市を取られることが不安で堪らなくて」 「そんなこと……」 「でもね、教えてくれてありがとう。正直ちょっとホッとしたの。ようやく……自分の樹市への気持ちがはっきりして」  朝靄に霞む薄水色の空を見上げて、私は告げる。 「やっと分かったの。樹市は私の大切な人で、たとえ二人の思い出が無くなったとしても、ずっと忘れることの出来ない人なんだって」 「……結」 「だからね、また告白する。樹市に好きだって。たとえ何度忘れたって構わない。その度にきっと思い出してみせるから」  ベンチから立ち上がって大きく背伸びをする私に、茜子は訊ねてくる。 「じゃあ……ウチのこと」 「あのね、私があんたを許さない訳がないじゃないの。これだけ一緒に過ごしてきた仲なのに」 「結……ウチ」  タオルに顔を埋めて涙ぐむ茜子に、私は腰に手を当てて言う。 「はいはい、湿っぽい話は終わり。ほら、そろそろ陸上部員たちが朝練にやって来るわよ。狐集高の韋駄天がめそめそしてたら、後輩たちに笑われるわよ」  私は強引に手を引いて、茜子をベンチから立ち上がらせる。 「じゃあさ茜子、もうひとつだけ頼みごとしてもいい?」 「頼みごと……?」 「そう。もう一度だけ、トラックで勝負してよ。今度こそ本気だして、中学の時みたいにぶち抜いてみせるから」  私の顔をまじまじと見た後、茜子はタオルで涙を拭いながら苦笑いする。 「……まったく、昔から負けず嫌いなんだから。いいわよ、こっちこそ本当の実力差を思い知らせてあげるから。転んで泣きべそかかないでよね」 「言うわね、じゃあもうひと勝負」  タオルをベンチに放り出した私と茜子は、再びグラウンドへと駆け出していった。
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