第五幕 暗転

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 その後、私と樹市の復帰は意外なほどあっさりと認められた。  全員の前で頭を下げる私たちを部員たちが好意的に受け入れてくれたところを見ると、もしかすると泰葉が前もって皆に口添えしてくれていたのかもしれない。  練習が始まる前に目配せしてみたが、机の上に足を組んで座った泰葉は素知らぬ様子で近くに居た後輩を捕まえては演劇に関する薀蓄(うんちく)を語り続けていた。  再び落ち着きを取り戻した稽古場に、邦代部長の声が響く。 「オウケイ、じゃあ始めるわよ。凛役の蓮條も戻ってきたことだし、これでちゃんとキャストを揃えて稽古が出来るわね。しばらくバタバタしてたけど、これからは腰を据えて厳しくやるわよ」 「え? 俺にはこれまでも充分厳しかった気がするけど……」  口を挟む吉岡先輩に、部長は冷ややかな視線で返す。 「吉岡は別。あんたはその軽薄さを性根から鍛え直さなきゃね」 「マジか。おお神よ、この迷える子羊を救い給え」  大げさな素振りで片膝をつく吉岡先輩に部員たちが笑い声を上げるのを見て、部長は溜め息まじりにヒラヒラと手を振る。 「はいはい、茶番はそこまで。じゃあシーン6―3からやるわよ。山に逃げ込んだ彰馬と咲奈が村人たちに追い詰められる場面ね。吉岡、あんた遊んでる場合じゃないでしょ」 「おお、そうだった」  慌てて準備を始める彰馬役の吉岡先輩と咲奈役の楠木香沙音を中央に、それを取り囲む村人たちの立ち位置まで部長は細かく指示を出していく。  この場面の舞台は、夏の初めに私が樹市や茜子と『神石わたり』をした狐岩だった。 「本番は背景に狐岩のセットを置くけど、今日は椅子を並べといて。動きの多いシーンだから、くれぐれもぶつかって怪我しないようにね」  段取りの打ち合わせを終えた後、部長の合図とともに芝居が始まる。 「居たぞ、こっちだ!」  松明を持って叫ぶ村人たちの前に、彰馬は咲奈をかばうように立ち塞がる。  二人を取り囲んだ村人たちがじりじりと距離を縮めてくる中、狐集神社の神主が皆を分け入って前に進み出る。 「彰馬、もうやめておけ。それ以上やったら、お前も村に居られんようになるぞ」 「初めから村に帰るつもりなんぞない。俺は……咲奈と狐集を出る」 「そんな勝手が許される訳などないのは、お前も分かっとるじゃろ。咲奈は村のために管狐の従者となる身ぞ」 「なに言うとる! 従者などと、おためごかしも大概にせい。なんで咲奈が……人柱にされんといかんのだ!」  手にした斧を地面に叩きつけて、彰馬は怒鳴る。  そのあまりの剣幕に村人たちが後ずさるのを見て、神主は宥めるように言う。 「これ以上雨が降らなかったら、この村はおしまいじゃ。もう他に方法はない。分かってくれ」 「は、そんなに人身御供(ひとみごくう)が欲しいんなら、お前らが池の底にでもどこにでも沈めばいいやろが。そんな世迷言を信じとるから、いつまで経ってもこの村は管狐に憑かれとるいうんじゃ」 「しょ、彰馬。そないバチあたりなこと言いおったら、本当に管狐様に祟られんぞ」 「構わん。何が人柱や。生贄など立てねばならんような村は、管狐に呪われてしまえばいいんじゃ!」  村人たちを睨みつけた彰馬は、斧を握る手に力を込める。 「脅しやないぞ。俺と咲奈に近づいた者から、頭かち割うたる」  棒切れや鎌を手にした村人たちとの睨み合いが続く中、彰馬の背中に庇われていた咲奈がその腕を掴む。 「彰馬さま……もう、これ以上は」 「駄目だ! お前は俺が守るんじゃ。もし咲奈を埋めると言うんなら、俺も一緒に埋めろ。俺も一緒に桶に入れて狐集池に沈めてみろ!」 「彰馬……さま」  その時、真っ黒い鳥が漆黒に覆われた枝から飛び立つ。  一瞬だけ彰馬の視線がその影に気を取られた瞬間、取り囲んだ村人の一人が背後から彰馬の体に飛びかかる。 「ぐっ!」  体勢を崩して倒れ込んだ彰馬を、村人たちが一斉に押さえつける。 「く……そっ! やめろっ!」  武器を取り上げられてその場に抑え込まれた彰馬から、咲奈が強引に引き離される。 「彰馬さまっ!」 「さ、咲奈……咲奈っ!」  神主たちに連れ去られていく咲奈を追うように、彰馬は手を伸ばす。  だがその姿は、狐集池へと向かう村人たちの陰になって次第に消えていく。 「彰馬……さまっ!」 「……咲、奈っ!」  二人の悲痛な声だけがいつまでも森の中に響き続ける中、このシーンは幕を閉じる。
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