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休憩時間に部室に向かっていると、屋外の手洗い場で顔を洗う吉岡先輩の姿に気付く。
「大変そうですね、彰馬役」
タオルを差し出して声を掛ける私に、先輩は水を滴らせた顔を上げる。
「おう、どうした蓮條。着物なんか持って」
「衣装合わせですよ。まさか稽古場でやる訳にもいかないから」
「ああ、そっか……」
苦笑いして、先輩は手洗い場の縁に座る。
「しかし、本当参ったぜ、邦代の厳しさったら。さっきの話が冗談じゃ済まん」
「その分、部長もきっと吉岡先輩に期待してるんですよ。今回は特に急な配役変更だったから」
「俺にだけは徹底的に容赦ないからな、あいつ。これだけしごかれたら、夢でもうなされそうだぜ」
乱雑にタオルで顔を拭う先輩に、この間の邦代部長との話を訊ねてみる。
「そういえば吉岡先輩って、邦代部長に誘われて演劇部に入ったんですか?」
タオルを首に掛けて、先輩はばさばさと髪の毛に付いた水滴を払う。
「ああ、そういやそうだな。元々俺、中学の時はサッカーやってたしな。芝居っ気なんて全然なかったんだけど、強引にあいつに演劇部に引っ張り込まれたって感じだ」
「部長は『腐れ縁』だなんて言ってましたけど」
「ま、その通りだな。あいつに芝居のことで怒鳴られてボロカスに言われても、別に嫌になったりはしなかったな。不思議なことに」
「でもその時って……そういう感情は抱かなかったんですか?」
「そういう?」
「あの……恋愛的な気持ち、とか」
照れながら言う私に、吉岡先輩は屈託なく笑って返す。
「まあ、もうちょっと余裕があったら、そんな感情も芽生えたのかもしれないけどな。でも聞いたろ? あいつが一年の時に上級生たちと揉めてたって話。俺大変だったんだぜ、当時の先輩たちとあいつの仲を取り持つというか、もろ板挟みっていうか」
「部長は、その時は自分も強がってた所があったって……」
「強がってたなんてもんじゃないよ。今の藤繁が可愛く見えるくらいにずけずけ物言うもんだから、その時の先輩たちもかなりピリピリしててな。まさに一触即発って感じ。正直、いつ演劇部を追い出されるんじゃないかって、こっちはヒヤヒヤしっ放しだったよ」
「そんなに……」
私も同じように、手洗い場の縁に寄り掛かる。
「でも意外ですね。邦代部長って、今はあんなに皆から信頼されてるのに」
「まあ、あいつなりに色々と思う所もあったんだろうけど。少しは周りとの協調性なり親和性ってやつを考えるようにはなったんだろうな」
小さく肩をすくめると、吉岡先輩はどこか含みのある視線を私に向ける。
「で、結局自分たちが上級生になったと思ったら、今度は手の掛かる後輩たちが入ってきただろ。もう演劇部を切り盛りするのに手一杯で、邦代とは否応なく同志って位置づけになっちゃった訳よ」
「私たちのせいですか?」
「そりゃそうだろ。藤繁に瀬能にお前、みんないつ爆発するか分からない不発弾みたいな奴らばっかりで」
「まあ、謹慎明けの身としては何も言えませんけど」
口を尖らせる私を見てひとしきり笑った後、先輩は稽古場のある建物の方に目を移す。
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