第一幕 神石わたり

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 拾い上げた木の枝で蜘蛛の巣を払い除けながら、茜子が言う。 「そういやさ、『神石(かみいし)わたり』って、『回廊(かいろう)めぐり』と対になってるって知ってた?」 「回廊めぐり?」 「そ。狐集山に住む管狐たちが住んでいたのが、これから行く狐岩。んで管狐たちが麓に行く途中で通り抜けたのが、狐集池にある洞。知ってるでしょ、池から神社に抜ける洞窟があるの」 「あー、確か子供の頃に行ったことあるな。結、一緒に行ったの覚えてないか?」 「何となく……」 「あの洞窟って中が真っ暗でさ。親には絶対に一人じゃ行くなって言われてた気がするけど」 「そう……だっけ」  曖昧に返事をしていると、斜面に生えた蔓に掴まった茜子が振り返る。 「そりゃそうよ。洞窟の『回廊めぐり』の別名は『(えん)千切(ちぎ)り』。何でも親しかった想い人の記憶を消し去っちゃうんだとか」 「縁千切り……」 「そ。『神石わたり』は縁結びで、『回廊めぐり』はその逆。要するに極楽と地獄というか裏と表というか、管狐にまつわる祭祀ごと自体が全部そういう関係性みたいよ」 「何だか仰々しい話だな」  同意を求めるように樹市が視線を送ってくるが、私はあやふやに頷くことしか出来なかった。  子供の頃に、樹市や家族と一緒に狐集池の洞窟に行ったことは覚えていた。だがあの薄暗い洞窟の中をくぐる残像が、今でもやけにはっきりと私の頭の中に残り続けていた。もう十年近く前の出来事のはずなのに。  何か心の奥に引っ掛かるものを感じて黙っていると、隣を歩く樹市が茜子に訊ねる。 「でも棚田って、案外そういう狐集の風土に詳しいんだな。普段のイメージからすると、ちょっと意外だけど」 「意外って失礼ね。まあ、うちの叔父さんが神社の氏子の総代やってるから、昔から狐集の信仰話はよく聞かされてたのよ。でも『神石わたり』にしたって、今どき十代じゃなきゃ駄目っていうのもナンセンスよね。本当は汚れのない生娘や生息子が、子孫繁栄のために管狐に祈祷するってのが目的なんだし」 「まあ、それは……」  樹市が答え難そうに人差し指で頬を掻く。  奔放な性格の茜子にとっては他意のない発言なのだろうが、樹市もその手の男女の生々しい話は苦手のようだった。  だがそんな微妙な空気など全く気にせずに、茜子は私に言う。 「そういや、結は何を願掛けするの? やっぱり恋愛成就?」 「それは……」  一瞬だけ樹市の方を見てから、私はなるべく素っ気ない振りをして答える。 「特に考えてないかな、とりあえず家内安全と無病息災、ってところ」 「なによそれ。ノリが悪いわね、もう」  口を尖らせた茜子が、今度は樹市の方に向き直る。 「そういや恋愛成就っていえば、瀬能って楠木さんと付き合ってるんじゃなかったっけ? 同じ演劇部の」 「え?」  あまりに突然の質問に、樹市の言葉が止まる。その表情が少しだけ曇った気がした。  だが茜子はそれに気付く様子もなく、あっけらかんと私に訊ねてくる。 「違うんだっけ? 結も同じ演劇部でしょ」 「私は……よく知らないけど」  うかがうような視線を送ると、樹市は平静を装っているかのように苦笑いを浮かべて答える。 「付き合っては……いないな。舞台の話はよくしてるけど」 「そういえば今度の文化祭の演劇、瀬野が主役で彼女がヒロインだもんね。で、そこの結が性悪な恋敵役。ドロドロの愛憎劇が現実でも見られるかと思ったけど」 「あんたね、わざと言ってるでしょ」  睨みつける私を茶化すように、茜子は含み笑いする。 「冗談だって。でもあんまり噂話もアテにならないわね。多分学校のみんなも、今回の舞台にかこつけて面白がってるのよ」 「参ったな……」  樹市は困ったように頭を掻くが、動揺しているのは私も同じだった。  どうしてさっきから、こんなにも鼓動が速くなっているのだろうか。  単なる幼馴染でしかない樹市が誰と付き合おうと、私には関係のない話だというのに。  何か大切なことが記憶のどこかから零れ落ちて、どうしてもそれが思い出せないような……、そんなもどかしい気持ちばかりが心の中に淀んでいる気がした。
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